五井教会ミサ説教(復活節第3主日・平原陽一師追悼)

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    2011年5月8日 五井教会にて

     

    第一朗読 使徒たちの宣教(使徒言行録2・14,22-33)

    第二朗読 使徒ペトロの手紙(一ペトロ1・17-21)

    福音朗読 ルカによる福音(ルカ24・13-35)

     

    昨年5月8日、パウロ三木・平原陽一神父さまが帰天されました。今日は、このミサを献げて、神父さまの永久の平安をお祈りいたしましょう。

     

    今日の福音はエマオへ向かう二人の弟子たちに復活したイエスが現れたという話です。

    イエスは旅人として現われ、二人に近づき一緒に歩く。しかし弟子たちの目は遮られていて、イエスだとは分からなかったとあります。二人はすっかり落ち込んでいました。その理由をその人に問われて、彼らはイエスの出来事を説明します。

    すると、その人は「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された」のです。

    途中、日が暮れたので泊まる家に入り、ともに食事をすることとなりました。イエスは「パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」のです。

    大変興味深い叙述です。

    復活したイエスの姿は誰にもそれとわかる様子ではなかったようです。聖書の説明を聞き、食事を共にするときになって初めてイエスを認めます。

    今朗読された福音書が「道では話しておられたとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と述べているように、信仰は聖書を学ぶことにより芽生え深められるのです。イエスは旧約聖書の説明をしました。わたしたちは新約の出来事を旧約の説明から理解します。旧約聖書の基礎の理解なしに新約の信仰にいたることはないのです。

    またパンを裂く場面がありますが、これはいま献げているミサを思い起こさせます。聖餐式(特に、聖体拝領)のときに、わたしたちはイエスの現存を信じ、イエスにおいてひとつに体であると信じます。

    旧約聖書から生まれた宗教がユダヤ教です。

    旧約聖書と新約聖書から生まれた宗教がわたしたちのキリスト教です。

    そして、ユダヤ教、キリスト教の伝統に上に、預言者ムハンマドが受けた啓示に基づいて成立した宗教がイスラム教です。

    この三つの宗教は同じ唯一の神を信じています。それなのに互いに争い戦い殺し合いさえするのはどうしてでしょうか?宗教に寛容な東洋の風土・文化には異質な現象です。

    5月2日、イスラム過激テロ組織の指導者がアメリカ軍によって殺害されたというニュースが大きく報道されました。アメリカでは戦勝祝賀ムードのようですが、わたしたちは、はしゃぐ米国に違和感を覚えています。

    イエスは復讐を禁じ、身をもって実行し、十字架にかかったのではなかったではないでしょうか?

    他宗教に寛容でありながらイエス・キリストに忠実であると言う生き方がわたしたちに求められています。

     

    さて今見たように、このエマオの弟子たちに復活したイエスが出現したというルカの福音はいまわたしたちが献げているミサとまったく同じ構造を示しております。

    そして、ちょうど一年前の5月8日に亡くなられた平原神父さまは聖書を教えること、そしてミサを献げることに非常に熱心でした。聖書とミサを非常に大切にしていました。平原神父さまがいのちをかけても、この司祭の務めを最後まで果たそうとされたことを皆さんもご存知でしょう。

    最後まで司祭の務めに熱心であった平原神父さまに神様が豊かに報いてくださいますよう祈りましょう。