レデンプトール会司祭叙階式説教

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    2011年5月5日 初台教会にて

     

    受階者 ステファノ野田 安則(のだやすのり)

     

    第一朗読 使徒パウロのコリントの教会への手紙(2コリント4・1-2、5-7)

    福音朗読 ヨハネによる福音(ヨハネ17・6、14-17)

     

    イエスは弟子たちのために天の父へ祈りました。

    「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。」

    2001年9月11日、アメリカで同時多発テロが起こりました。そして先日国際テロ組織の最高指導者がアメリカ軍によって殺害された、というニュースが世界を駆け巡りました。

    わたしたちは3月11日に起こった東日本大震災のために大きな苦しみ悲しみそして不安の中に置かれています。テロは人間の行為、テロに伴う殺戮行為は人間が生み出す大きな悪であります。他方、地震と津波は自然災害であります。しかし、原子力発電所の事故は人間の起こした災害であります。

    いまわたしたちは人災と天災の両方の大きな悪の中で、もがき、苦しんでいます。すでに日本社会は閉塞状況にあります。少子高齢化、多数の自死者、経済の停滞、社会保障の行き詰まり、政治の混迷など誰の目にも明らかです。

    このような状況の中で野田安則さんは司祭に叙階されます。

    最近自分自身についてしみじみ感じることですが、聖パウロが言うように、わたしたちは弱い「土の器」でしかありません。土の器という弱い人間性を持ったわたしたちが、さまざまの悪の支配するこの世界の中に派遣されているのです。主イエスはわたしたちが悪から守られるよう祈りました。

    実にわたしたちはこの弱い自分自身を宣べ伝えるのではなく、主イエス・キリストを宣べ伝えるのです。復活された主キリストの光を宣べ伝えるのです。

    イエス・キリストの十字架と復活は悪の連鎖への終止符であり、報復の論理の否定であります。テロと言う暴力に対して軍事力と言う最強の暴力を行使し、それによって正義が実現する、とするのは、人類の歴史が繰り返してきた悪の連鎖反応に他ならないのではないでしょうか。

    パウロは言います。

    「『闇から光が輝きでよ』と命じられた神は、わたしたちの心のうちに輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を語る光を与えてくださいました。」

    闇はキリストの光によってしか消滅させることができないのです。闇のあるところにわたしたちは光を灯しましょう。つい先日祝ったばかりの復活徹夜祭の光の祭儀を思い出しましょう。

    2001年9月11日の事件の後、有識者たちによる一神教批判がありました。一神教は不寛容な宗教ではないか、と言う論議でした。キリスト教徒もユダヤ教徒もイスラム教徒も唯一の神を信じています、唯一の神ですから、キリスト教徒もユダヤ教徒もイスラム教徒も同じ神を信じ礼拝しているはずです。どうして同じ神を信じている兄弟姉妹が憎みあい殺しあうのでしょうか?今回のテロ指導者殺害事件が9.11のときと同じ批判の繰り返しを引き起こさなければいいが、と懸念しています。

    5月1日に列福されたヨハネ・パウロ2世教皇は、紀元2000年を迎えるに際して、わたしたちが真理への奉仕において不寛容と言う過ちを犯したことを反省しなれければ、紀元2000年の敷居を越えることはできない、と言われました。異なる信仰理解・宗教を奉じる者への暴力の行使を認めてきたことはイエス・キリストの弟子には相応しいことではありませんでした。

    さて、いまわたしたちは大震災のなか、新しい創造へ向けて歩む決意を新たにするときです。

    復活祭の翌日の4月25日、わたしは仙台教区を訪問しました。教区本部にある仙台サポートセンターを激励訪問し、その後は平賀司教さまの案内で被災地を順次訪問いたしました。聞きしに勝る惨状で、自然の猛威にひたすら圧倒される思いでした。

    港では大きな船が陸地に乗り上げたままになっています。おびただしい自動車の残骸・・・どこからどう整理するのでしょうか。

    被災地はい桜が満開です。宮城県太平洋沿岸は桜、桃、こぶしなどの花が咲き乱れ、大震災など起こらなかったかのようです。

    日本の7歳の少女、松木エレナさんが教皇様に質問しました。

     〈どうして子供たちがこんな悲しい思いをしなければならないのですか?〉

    わたくしもこの問いにどう答えるか、考えます。

    求められるのは単なる復旧ではなく復興です。いや新しい創造です。主キリストにおいて日々新しくされることによる新しい天、新しい地の創造です。それは苦しみ悩む人々との温かいつながりの再構築から始められなければならないでしょう。〈闇に光を!〉を標語に掲げたいと思います。