鴨川教会ミサ説教(四旬節第5主日説教)、館山教会ミサ説教(四旬節第5主日説教)

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    2011年4月10日午前10:00 鴨川教会にて

     

    第一朗読 エゼキエルの預言(エゼキエル37・12―14)

    第二朗読 使徒パウロのローマの教会への手紙(ローマ8・8-11)

    福音朗読 ヨハネによる福音(ヨハネ11・3-7,20-27,33b-45)

     

    前回皆さんの鴨川教会を訪問したのは昨年秋、ちょうど日本の司教団が新しい《聖母マリアへの祈り》の口語文を発表した直後だった記憶しております。あの時に、この教会の桜の花が咲く頃にまた訪問したいと申しました。いま庭の桜は満開で、ちょうど見頃です。春たけなわの安房の国を訪れることができて幸せですが、ご存知のようにいまは、お花見どころではない状況です。

    一ヶ月ほど前に起こった東日本大震災のために多くの人が命を奪われ、また行方不明となり、なお多くの人が不自由な避難生活を強いられております。それに加えて原子力発電所の事故のためにわたしたちは大きな不安の中に置かれています。

    亡くなった方々の永久の安息のために祈り、一人でも多くの人の命が守られますよう、また、原子力発電所の事故が一日も早く収束して人々が安心して生活できますよう、祈り、自分にできる努力、支援を行いましょう。

     

    復活祭まであと二週間となりました。

    今日のヨハネの福音を読みまして、わたくしは次の点が強く心に感じました。

    それは「心に憤りを覚え、興奮して」という表現です。この表現は、イエスがわたしたちと同じ人間であったことを示しています。彼は人間としての豊かな感性を持っていました。また「イエスは涙を流された」ともあります。イエスはラザロとその姉妹マルタとマリアを愛していました。彼らの住まいであるベタニアの家をしばしば訪れ、そこでイエスは、憩いと安らぎのひと時を過ごしていたことでしょう。ベタニアのラザロの家はイエスにとって暖かい家庭の場であったと想像されます。それなのに、そのラザロが病気になったという知らせを受けても、イエスはすぐには駆けつけませんでした。亡くなって4日もたってから、イエスはベタニアに行って、愛するラザロをよみがえらせます。たぶん完全に亡くなった後で奇跡を行うためであったのかもしれません。

    しかしラザロは生き返っても、また死ななければなりませんでした。イエスがラザロをよみがえらせたのは、単なるよみがえりではない、復活の命を指し示すためであったと思います。

    「わたしは復活であり、命である。わたしを信じるものは、死んでも生きる」とイエスは宣言しました。イエスは復活の命を宣言するためにラザロをよみがえらせたのではないでしょうか。イエスはご自身の復活によって、イエスを信じるすべての人を復活の命へ招いてくださるのです。

    今日の第1朗読はエゼキエルの預言。エゼキエルは、神の霊によって枯れた骨に筋がつき肉がついて立ち上がる、という幻視を預言しています。これはイスラエルの民の復興の預言であり、またイエスの復活の恵みに与る神の民をあらかじめ指し示す〈前表(ぜんぴょう)〉でもあると言えるでしょう。

    使徒パウロは今日の第2朗読で言っています。イエスを信じるものは神の霊を受けて死から命へ移され、キリストの復活の体に変えていただける、と。

    「もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。」

    わたしたちも神の霊を受けてわたしたちの体を復活の体と同じ栄光の体、死ぬことのない体に変えていただけると希望することができます。

    この信仰と希望を持って大震災の困難な事態に立ち向かっていきましょう。