教区の歴史

教区の歴史

町屋教会ミサ説教(四旬節第2主日 ・東北関東大震災)

2011年03月20日

2011年3月20日 町屋教会にて

 

第一朗読 創世記(創世記12・1-4a)

第二朗読 使徒パウロのテモテへの手紙(Ⅱテモテ1・8b-10)

福音朗読 マタイによる福音(マタイ17・1-9)

 

3月11日、日本の東北関東地方を襲った地震と津波によって多くの人が命を奪われ、またいまなお多くの人が行方不明となっています。亡くなられた方々の永久の平安をお祈りいたしましょう。また行方不明の方々が一日も早く救出され、必要な手当てを受けられますよう祈ります。原子力発電の事故も起こり、多くの人が不安を感じています。政府をはじめ多くの方々が大震災被災者の救援、原発事故解決のために必死の努力をしております。神様のこの人たちを守り導き、必要な知恵と勇気を与えてくださいますように。

 

わたしは今回の東北関東大震災のニュースを聞いて、なぜ何十万もの人々がこのような試練に会わなければならなかったのか、という思いを強く持ちました。そして次のイエズス様の言葉を思い出しました。 ルカ13章1-5節です。

「ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。『そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。

13:4 また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。

13:5 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。』」

今回の災難にあった人は天罰を受けたのでしょうか?ほかの人よりの罪深かったので災害に出会ったのでしょうか?決してそんなことはないと思います。被災者が難を逃れた人々より罪深かったわけではありません。なぜ東北地方の人々がこのような苦難に出会ったのか、わたしたちにはわからない、としか言いようがありません。もっとも地震は自然災害ですから避けようがないのですが、原発事件の方はわたしたち人間の方に責任があると思います。

今思うことは、この災害はわたしたちの悔い改めと再生の機会になる、しなければならないと、ということです。

外国から多くのお見舞いと連帯の言葉、祈りが寄せられています。また多くの国々から立場、文化の違いを超えて日本へ支援部隊が派遣されています。試練に際して人間の価値が試されます。今回の大震災の機会にわたしたちは人類の連帯性を感じることができました。また教会の交わりの尊さ、有難さを感じることができました。

計画停電によりわたしたちはあまりにも快適で便利な生活に慣れすぎてしまったことを感じています。

今回の試練から学ぶことが多々あると思います。

・無縁社会での人とのつながりを大切にする。

・できるだけシンプルな生活をする。

・神の導きへの信頼を新たにする。

今日の第1朗読は、神の招きに従って、生まれ故郷を後にし、神の示す地へ移住したアブラムの話です。アブラムは信仰の信仰を聖パウロは賞賛しています。試練の中でわたしたちのアブラムの信仰に倣いましょう。

今日の福音はイエスのご変容です。受難と十字架の前に栄光に輝くイエスの姿を見せて、弟子たちの信仰を深め弟子たちを励まそうとされたと考えられます。苦難の中で人間の真価が問われます。苦難の中で落ち着き、自制、礼節を保っている日本人の姿に賞賛が寄せられているそうです。ここにわたしたちは伝統的な日本社会の美点が残されていることを認めることができます。

神の栄光は人間の中に現れます。わたしたちは苦難の中にあってこそ神の子の品位を示すようにしたいものです。この試練の中で信仰を深め、希望を強くし、隣人愛の実践によって信仰のあかしを行うことができますよう祈りましょう。