五井教会ミサ説教(年間第7主日)

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    2011年2月20日 五井教会にて

     

    第一朗読 レビ記(レビ19・1-2,17-18)

    第二朗読 使徒パウロのコリントの教会への手紙(一コリント3・16-23)

    福音朗読 マタイによる福音(マタイ5・38-48)

     

    今日の福音でイエスは言われます。

    「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」

     

    敵とは誰でしょうか?「敵」はラテン語ではinimicusといいます。amicusが友人ですのでinimicus は「友ではない人」という意味だといわれています。友でない人が敵。そうかもしれませんが、わたしは仏教で言う、四苦八苦の「愛別離苦」と「怨憎会苦」を思い出します。敵とはまさにこの「怨憎会苦」の対照となる人、「会いたくはない、一緒にはいたくない嫌いな奴、怨み憎む相手」のことではないでしょうか。人間が他の人に好悪の念を抱くのは避けられないことかもしれません。

    ところでこの人間の感情は変わりやすいものです。同じ人に対して正反対の気持ちを持つことがあります。非常に好ましいと思う相手が、「かわいさ余って憎さ百倍」になることもありますし、その逆もあるかも知れません。

    しかし神様にはそんなことはありません。誰に対しても同じように太陽を昇らせ雨を降らせます。神様には敵という存在はないでしょう。

    神様は罪科(つみとが)のあるわたしを赦し愛してくださる。欠点があってもかけがえのないものとして大切にしてくださる。わたしたちはそのように信じています。

    敵を愛することを考える前にまず自分自身を愛しているか、自分を敵にしていないか、考えてみる方が良いような気がします。まず自分自身の欠点を受け入れ、弱さを認めることが必要ではないでしょうか。わたしたちは自分自身を受け入れ、愛しているだろうか?

    神様の広い心を知って自分自身にも寛大でありたいと思います。そうすれば兄弟を受け入れやすくなるのではないでしょうか。

    自分を受け入れ愛してくださる神様の愛を深く信じる恵みをいのりましょう。