教区の歴史

教区の歴史

イエスの聖カンディダ・マリア列聖記念ミサ説教

2010年12月18日

2010年12月18日 高円寺教会にて

 

聖書朗読 シラ書(2・7-13)

福音朗読 マタイによる福音(11・25-30)

 

ベネディクト16世は2010年10月17日、6人の福者を列聖しました。そのなかの一人が本日お祝いする、イエズス孝女会の創立者、カンディダ・マリア・デ・ヘスス・シピトリア・イ・バリオラ(St Candita Maria de Jesus Cipitria y Barriola)です。1845年生まれ、1912年に帰天されました。1996年、ヨハネ・パウロ2世によって列福されています。イエスの招きに答え、女性の教育と地位向上のために生涯をささげました。

聖カンディダ・マリアの生涯は、試練と困難で織り成されておりました。それにもかかわらず聖カンディダ・マリアはいつも神に祈り、心の平安を保ち、明るい光を灯し続けていました。特に聖母への信頼が顕著でありました。いつも、

「わたしは自分自身を頼りにはしません。わたしは親愛なる聖母、あなたにすべての希望をおきます」と聖母に祈っておりました。

聖体への信仰が厚く、聖体訪問を大切にし、長い時間、聖櫃の前で過ごし、試練と苦難のうちにあって静かに心の平安を守っていたと伝えられています。

本日の聖書朗読は、主への信頼を説いています。主に信頼して失望に終わることはない、と教えています。シラ書で次のように言われています。

「主を信頼せよ。そうすれば必ず助けてくださる。お前の歩む道を一筋にして、主に望みを置け。」(シラ書2・6)

「主を信頼して、欺かれた者があったか。

主を敬い続けて、見捨てられた者があったか。

主を呼び求めて,無視された者があったか。・・

主は,慈しみ深く、憐れみ深い方、

わたしたちの罪を赦し、

苦難のときに助けてくださる。」(シラ書2・10-11)

また、主イエスは言われます。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい、休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば。あなたは安らぎを得られる.わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11・28-30)

聖カンディダ・マリアはこのイエスの招きに応えて、生涯をおささげになりました。

苦難を甘んじて受け、不満を言わず、神への信頼と希望のうちに明るく生きた聖人こそ、現代のわたしたちの模範であります。この忍耐と信頼こそ、聖人が現代のわたしたちに教えてくださっているすばらしいメッセージではないでしょうか。

現代日本では戦争や紛争の状態にはありません。しかし、多くの人が不安,焦燥(いらいら)に苦しみ、不平・怒りを納められない人が増えております。モンスター・ペアレントとかモンスター・ペイシェントとか呼ばれる人のことをよく耳にします。すぐ「切れる」人が増えています。昔なら当然我慢できたことが耐え難いと感じている人が多いと思います。いら立ちと怒りが目立つ今日この頃の社会です。

その原因は何でしょうか?核家族化し、兄弟姉妹も少なく、隣家との接触もまれで、人は孤立しています。ともに耐え、ともに喜ぶという機会が減少しているのではないか、と思われます。この孤立ということが理由になっているような気がします。

わたしたち信者にとってはもちろん、信仰と信仰にもとづく希望が大切です。わたしたちカトリック信者は常に主に希望を置くものとして歩みたいものです。

現代の日本では自死者が毎年3万人、12年連続です。また「無縁死」の人も3万人いると報道されています。

人生とは苦しみです。仏教では四苦八苦といいます。この中には、四苦は生病老死のほかに「愛別離苦」「怨憎会苦」などの苦しみが上げられます。ともに人間関係の苦しみです。「愛別離苦」は愛するものと別れる苦しみ、「怨憎会苦」は憎い者と会わなければならない苦しみのことです。なるほどと共感できる苦しみです。仏教は苦しみからの解脱を説きますが、イエスは苦しみを主なる神にささげることを教えています。このイエスの教えは聖人たちによって実行されました。

聖カンディダ・マリアの取次ぎによって祈りましょう。

「現代の砂漠で悩み迷っている人々を省みてください。

  聖人の模範にならい、困難と試練の中で、主イエスの復活の証人として、

  いつも希望のともし火を掲げて歩むことができますよう、

  聖霊の恵みをお与えください。アーメン。」