教区の歴史

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マザー・テレサ記念ミサ説教(神の愛の宣教者会)

2010年09月04日

2010年9月4日 神の愛の宣教者会東京修道院にて

 

第1朗読 雅歌8・6-7

福音朗読 マタイによる福音25・1-13

 

先日の8月26日はマザー・テレサの100歳の誕生日でした。東京のカテドラルでミサを捧げました。今日は福者マザー・テレサの祝日でございます。

神様はすべての人が救われることを望んでおられると使徒パウロは教えています。またヨハネの福音ではイエズスさまは言われています。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしによらなければ誰も父のところには行けない。」

マザー・テレサの生涯と教えについて、今日改めて分かち合いながら、神様の愛にもっと深く触れてみたいと思います。

すべての人が救われることを望んでおられる神様は、すべての人が救われるようにしてくださっておられます。イエズスさまを知らないで生涯を終える人もおられるでしょう。キリスト教徒でない人は沢山おられます。日本ではキリスト教徒は1パーセントにも満たない。非常に少ない。インドではどうでしょうか。人口が多い国ですし、使徒トマスがキリスト教を伝えたと聞いておりますが、それでも国民の大多数は他の宗教、ヒンズー教とかイスラム教などの信者でしょう。マザー・テレサは他の宗教、例えばヒンズー教の人が誰からも面倒をみてもらえないで淋しく死んでいく時に、その人が人間として大切な存在であるということを分かっていただけるようにお世話をしたと聞いております。そしてキリスト教のお祈りをすれば天国へ行けますよ、と言うのではなく、その人の宗教の神様にお祈りをすれば天国へ行けますよ、と言って手伝ってあげたと聞いております。イエズスさまに祈りなさい、マリアさまに祈りなさいと言ったのではない。そこが今までのキリスト教の宣教の仕方と違う点だと思います。神様はすべての人が救われることを望んでおられます。すべての人に恵みを与えてくださる。聖霊を注いでくださる。わたくしは誰でも最期の時にはイエズスさまと出会えるのではないか、聖霊の働きでイエズスさまがその時に現れて「わたしの処にいらっしゃい」と云ってくださるのではないか、と思っています。そういう機会、イエズスさまと出会う機会を神様はつくって下さるのではないかと思っています。キリスト教を信じていた人も信じると言わなかった人も、その時にはイエズスさまが現れて「どうも永い間ご苦労様でした。どうぞわたしの処へいらしてください」と言ってくださる。そしてこちらからは「イエズスさまよろしくお願いします」と言えば神様のところへ行けるのではないか、と、そう信じているわけです。

今、日本では多くの人が淋しい生涯を送っているような気がします。もちろん貧しくて食べるものもなくて死んで行く人もいるかも知れませんが、また友達がいなくて、話を聞いてくれる人もいなくて淋しい思いをしている人もいたり、独りで淋しくこの世を去らねばならない人もいると思いますが、どんな人でもあなたは大切な人なんですよ、ということを伝えていくことがわたしたちの務めではないかと思います。この日本でこそ、そういう大切な務めを果たしていかねばならないと考えております。

マザー・テレサのお弟子さんたちが世界中に派遣されて、そのような神様の愛を現わしていくために日本にも来られていることに感謝し、この砂漠のようなところでマザーの務めを果たしていかれるようにお祈りをしたいと思います。