八王子教会堅信式説教

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    2010年7月25日 年間第17主日 八王子教会にて

     

    第一朗読 創世記17・20-32

    第ニ朗読 使徒パウロのコロサイの教会への手紙2・12-14

    福音朗読 ルカによる福音11・1-13

     

    今日は堅信式が行なわれます。堅信を受ける皆さんが聖霊の恵みを豊かに受けますよう祈りましょう。

    今日の福音は「主の祈り」を伝えています。弟子たちは主イエスにどのように祈ったらいいか、と訊ねたところ、イエスは弟子たちに「主の祈り」をお授けになりました。「主の祈り」はわたしたちにとってもっとも大切な祈りです。

    「主の祈り」は前半と後半に分けられます。前半では、わたしたちは主のみ旨が行なわれますように祈ります。後半においてわたしたちは自分の願いを父である神にささげます。まず自分のことをお願いするのではなく、神様のみこころが行なわれることを願ってから、自分に必要なことを神様に願い求めるのです。主が教えてくださった主の祈りは完璧な祈りです。わたしたちは自分の願いより、父なる神のみ心が行なわれることを優先して祈ります。

    次に、今日のルカの福音でイエスは教えています。

    「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる。」

    またヨハネの福音で言われました。「あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。」(16・23)

    わたしたちは主イエス・キリストの名によって祈るのです。キリストの名によって祈るとは、天の父である神への願いをキリストに取り次いでいただくということです。したがってキリストが取り次ぐに相応しい内容の願いでなければなりません。

    ところで、願ってもかなえられないことがあるのではないでしょうか?その点についてヤコブの手紙は次のように教えています。

    「得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。」(4・2-3)

    最近、祈りというとしきりにわたしのこころに思い浮かんでくる祈りがあります。今日堅信を受ける皆さんに是非ご紹介したいと思います。それは「静けさの祈り」Serenity Prayerをという祈りです。

    たぶん、皆様どこかで聞いたことがあるでしょう。アメリカの神学者でラインホールド・ニーバーという方がおられまして、第二次世界大戦中に作ったお祈りであるということであります。

    この祈りにおいて3つのことを神に願っております。

    「どうか、神さま、わたしが変えることのできないことを受けとめる心の静けさをください。

    どうか、神さま、わたしが変えることのできることを行う、変えてゆく勇気をください。

    そして、そのどちらであるのかを見分ける知恵をください。」

    聞いたことがありますよね? 心の静けさ、勇気、そして知恵。大変良いお祈りだなあと思います。

    この「知恵」ということばですが、今日これから行う堅信式の中で、7つの聖霊の賜物が授けられます。その7つの賜物の中の一つ、一番最初に出てくる賜物が「知恵」であります。そして、この「知恵」は、昔は「上智」と言っておりました。神のみ旨を知り、それを行うことが、わたくしたちキリスト者の霊的生活であります。神さまがお望みになっていることを知る恵み。その第一が「上智」。そして、それを行う力が勇気。昔の言葉で言えば「剛気」でございます。

    今日堅信を受けられる皆さん、そして既に堅信を受けられている皆さんも同じ様に、改めて神からいただく恵み、知恵と勇気の恵みを祈り求めたいと思います。

    わたしたちができることは何でしょうか。この世界を変えたいと願っています。この教会をもっと良くしたいと思っています。何を変えることができるでしょうか。人に変わってもらいたければ、自分自身が変わらなければならない。しかし、自分を変えることもなかなか大変なことであると実感いたします。「どうか、主なる神よ、わたしたち一人ひとり、自分を変え、そしてあなたのお望みになることを力強く行うことができますよう、あなたの聖霊を豊かに注いでください。」

    そのように祈りましょう。