福者ペトロ岐部司祭と187殉教者ミサ説教

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    2010年7月1日 18:00 麹町教会にて

     

    聖書朗読: アモスの預言7・10-17

    福音朗読: マタイによる福音9章1節―8節

     

     

    ただ今読まれましたマタイによる福音の中風の人の癒しの話でありますが、「イエスは、その人たちの信仰を見て」とございます。今日の福音はマタイでありますが、並行箇所、同じ出来事を述べる共観福音書のルカ、それからマルコの方を見ますと、もっと詳しい叙述がございます。これは有名な癒しの話でございます。癒された中風の人の信仰ではなくて、その中風の人を連れてきた人たちの信仰をイエスは褒められたのであります。そして、この中風の人を連れて来た人は4人の男とあります。そして、イエスの周りには人が沢山いたので、この病人をイエスのところに連れて行くことができません。屋根に上って、屋根を剥がして、穴を開け、病人の寝ている床を上からつり降ろしました。どうやって、屋根に上ったのかなと、さっきから思っていまして、ここに来る途中も、「どういうふうにやったのだろうね」なんて一緒に来た人と話し合っておりましたが、ともかく、すごいことであります。屋根を引き剥がした、どんな屋根なのでしょうか。上からつり降ろした、イエスはその人たちの「信仰を見て」、言われました。度々いろいろな場面で、イエスは「信仰を見て、信仰を褒めて、信仰を感心して」などの表現をして、人の癒しをしておられます。

     

    さて、今日は、ペトロ岐部司祭と187殉教者の福者を記念する日でございます。私たちが、この188人の福者から学ぶことは、まず信仰。この人たちの強い、しっかりとした信仰でございます。ほぼ400年位の年月の差がございます。ペトロ岐部カスイが殉教したのは1639年7月、7月ということが分かっていますが、7月の何日であるかは、調べても分からないとのことであります。400年近くの年月には大変な状況の違いがあります。全く違うといってもよいわけです。そして、今の日本の教会があります。今の日本の教会はどうでしょうか、どうしたらよいでしょうか。400年前の信者の人たちの強い信仰にならい、私たちは今の日本のカトリック教会をも、本当にこの殉教者にならう教会として、多くの人のために証しをたてたいと心から願っております。東京教区の殉教者は188人の中では、2人だけであります。もう一方(ひとかた)は、ご存知のように、ヨハネ原主水。1623年12月4日、やはり江戸の札の辻で殉教しました。ペトロ岐部カスイの方は小伝馬町、牢獄のあった所で処刑されたようです。私たちは、更にこの188人の方の信仰を改めて学びたい。列福式は、2008年の11月24日に長崎でありました。もう帰天された私たちの枢機卿、ペトロ白柳枢機卿様が主司式され、大変感動的な説教をしてくださったのでございます。その列福式の感激をもう一度新たにしております。

     

    私は今日、お話するに際して、この188人の中で、小笠原玄也(げんや)とその妻、子ども、奉公人の15人という殉教者のことを一番強く思い出しております。15人が一緒に殉教いたしました。熊本であったようです。小笠原玄也という方は、細川家に仕えていた武士で、そして細川家というのは、細川ガラシアで有名な細川家でございます。そして、熊本のどの辺なのでしょうか。一度ぜひ、巡礼したいと思っておりますが、15人が貧しい小さな家で一緒に暮らしていました。そして、そこに家の教会があったわけであります。そして、そのうち4人は奉公人、今、奉公人という言葉もほとんど聞かれなくなりましたが、この奉公人も信者になって一緒に祈りの生活をしていました。名前は分かりません。今、中央協議会発行のこの冊子を持って来たのですが、奉公人4人となっておりますが、名前が分からないのですね。名前が分からないのに、列福できるのだろうかという問題が教皇庁の方で論議されたと漏れ聞いておりますが、結果的には「よろしい」ということになって、この4人が福者になったのでございます。そして、この冊子の中には大変な名文が出ております。この15人の最後の様子が出ております。「貧しさが極まる中、子ども9人、奉公人4人と共に、玄也とみやの家族は深い観想生活に入った。何もないのに、皆が成長し、心は豊かだった。もっとも小さな教会がそこにあった。」今の私たちの家庭というのはどうなのか。このように10何人も一緒に住むということは、まずないわけですし、同じ屋根の下にいても、寝泊りしていても、一緒に祈ったり、話し合ったりすることも非常に少ない、あるいはできない、そういう状況になっています。400年という年月の差があるにせよ、この人たちの家族の絆が非常に強かった。そして、本当に心を一つにして、教会を作り、毎日祈りを献げていた様子が偲ばれます。具体的にどんな生活をしていたのかと、想像していたりしています。親子が書いた16通の遺書が残っているそうでございます。

     

    今、私たちは、この東京とその周辺、首都圏において、大変難しい状況の中で、信者として生きております。400年前、数知れない人が信仰を守って、殉教いたしました。今、私たちに、殉教を迫る権力者はおりません。しかし、私たちの教会が本当に日本の人々に力強く信仰を証しできているであろうか、私たちの中でも、非常に難しいものがあるような気がしております。当時の教会が、全く問題もなく、対立もなくそして、皆仲良くしていたというわけではないそうで、やはり、いろいろな考え方の違い、対立、抗争、そして汚職まがいのこともあったと聞いております。しかし、本当に、人々は活き活きと自分の信仰を守り、生きていきました。今、私たちが置かれている困難というのは、もしかしたら私たち自身の中にある問題、そして、私たちを支配している大きな目に見えない悪の力、あるいは悪霊の力と言ってもよいかという気がしております。何度も申し上げておりますけれども、日本ではこの12年間、毎年3万人以上の人が自死を遂げています。自分で死を選んでいる、あるいは選ばされている現実があります。人を生きにくくする何か大きな力が働いているのではないでしょうか。私自身そんなに多くの人と直接お話する機会があるわけではありませんが、本当に多くの人が疲れ、生きる力を削がれている現実がございます。私たち教会の使命は、本当に人々に、信仰とそして希望を伝えていくことではないでしょうか。特に、ペトロ岐部によって代表される強い信仰、そして勇気をもって人生を生きる、人生の責任を自ら引き受け、そして、力強く信仰を証し、それによって、人々の希望の徴(しるし)となることではないだろうかと、本当に思う次第でございます。

     

    先日、東京教区では、私から、司祭が直面している困難について、直接皆様に訴える手紙を出しました。多くの司祭、少なくない司祭が困難な状況に置かれており、非常に疲れている司祭もいるのであります。今日は、本当に殉教者に祈りたいですね。殉教者の取り次ぎを祈りたいと思います。私たちの信仰を深めてください。私たちに勇気を与えてください。そして困難な現代の荒れ野において、東京と周辺の人々にイエス・キリストの復活を明るく力強く証しできますようにどうぞ力を与えてくださいと、祈りたいと思います。今日は、ご一緒に、「福者ペトロ岐部と187殉教者の取り次ぎを願い、その列聖を求める祈り」をお献げいたしましょう。ご一緒にお願いいたします。

     

    「いつくしみ深い父よ、

    福者ペトロ岐部と187殉教者は、復活のいのちを約束してくださるあなたの愛に希望を置き、自らキリストの十字架を担い、その死を身に帯びる生き方を選びました。

    殉教者の取り次ぎによって祈ります。現代に生きるわたしたちが、どのような困難なときにも聖霊の助けに信頼し、キリストに従い、あなたへの道をひたすら歩むことができますように。

    また殉教者のあかしが、世界に生きるすべての人の希望となるよう、ペトロ岐部と187殉教者を、一日も早く聖人の列に加えてください。

    わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。」