多摩東宣教協力体合同堅信式説教

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    2010年6月13日 調布教会にて

     

    みなさん今日この調布教会に参りまして合同堅信式をおこなうことができますこと、大変嬉しく存じます。この聖堂は先ほど「献堂式はいつでしたか?」と藤川神父様におたずねしましたところ「だいたい2年前のことです」といわれ「あの時からもう二年経ったのだなあ」と思いました。

    この簡素で明るい聖堂に入ると神様の光が射してきて心が明るくなり、力を頂くことができるような気がいたします。多摩東宣教協力体、この調布教会、多摩教会、府中教会の皆さんがここに集まって神様から信仰を強くしていただく堅信の秘跡をお受けになる、大変嬉しいことでございます。      

     

    今日、ルカの福音書は7章にあります罪深いの女の話ですが、大変興味深い印象的な話でございます。女の人がイエス様に香油を注ぐとか、髪の毛で足をぬぐうとかいう話は他にもあって、そこに出てくる女性が誰なのか、同じ人なのか別な人なのか混線しているようですが、このルカの福音に出てくる話は、はっきりしているようでございます。

    罪深い女と言われている女性です。想像するに多くの人がそういっている、そういわれても仕方ないようなことをしていた女性なのでしょうか?そういう女性がイエスの呼ばれた食事の席にやってきて、当時の習慣では誰でもそういうことがあるのかわかりませんが、食事の席に近づくことはできたようです。何しろ罪深いといわれている女性が入ってきて、なんの断りもなく、名を名乗ったわけでもなく、いきなり大胆な行為に移ったわけであります。意外な行動をとったわけでございます。

    そして、イエス様はその女性がそうするままにさせていました。それどころか、その女性をかばわれたわけであります。そして「あなたの信仰があなたを救った。安心していきなさい。」と言われました。イエス様は福音書の中で何回もいろんな人に同じことばを告げています。「あなたの信仰があなたを救った。」そういう言葉を私たちも是非いただきたいものであります。

    この女性がシモンというファリサイ派の人の家にきて、こういう行動に移るのにはかなり強い気持ちがないとできないのではないでしょうか?かなり思いつめた気持ちでしょうか?あるいは、勇気というのか、信頼というのか、普通そういうことをしたらまずいと思うわけですが、イエス様は自分を受け入れてくださるという信頼を持って行ったことだと思います。もう、いろんな人に知られている自分をありのままイエスに差し出して受け入れていただきたい、そうしていただけるだろうと思ってしたことではなかったかと思います。

    イエス様のお言葉ですが、「この人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさで分かる。赦されることが少ないものは愛することも少ない」。この言葉の意味であります。  

    この箇所は何度もお目にかかり、司祭になって何度も説教をした場所ですが、今回また考えて見ました。多く愛したので多く赦されたのか、多く赦されたので多く愛したのか?これらを論ずるのは、あまり意味のないのかもしれません。原文では多く愛したので多く赦されたと読めるようです。

    この女性が大きな信頼と勇気をもって自分のすべてをイエス様の前に投げ出した。その女性を、しっかり受け止め、かばい、罪の赦しを宣言されたイエス・キリスト。この二人の出会いというものを私たちはいま日本の教会で、東京教区で、再現しなければならないと思います。

    多くの人が疲れております、迷っております、悩んでおります。救いを求めております。その人々に向かって「あなたの罪は赦された。安心して行きなさい。」そう告げるのが私たち教会の使命ではないでしょうか?良い便り、福音を宣べ伝え、宣言するのが教会の使命であります。

     

    パウロ6世という教皇様を思い出していただけますでしょうか?パウロ6世という教皇様は全世界に向かって福音宣教が大切であるということをおっしゃいました。どのように福音宣教をするかということを定める基準は、「主イエス・キリストご自身である。イエス・キリストに倣って福音宣教をしなさい。」当然のことですがそうおっしゃったわけであります。 

    東京教区で福音宣教をするときに、今日聞いたイエス・キリストに倣い、私たちも父なる神の愛に信頼し、勇気を持って神の愛を宣言し、罪の許しを述べ伝えたいと思います。

     

    今年の「イエスのみ心」の日は6月11日で、司祭年終了の日でした。ビアンネという聖人の帰天150周年を記念してベネディクト16世教皇が、去年の「イエスのみ心」の日から、今年の「イエスのみ心」の日まで司祭年とされました。私たち司祭は、自分の司祭になった時の決意を新たにし、自分の日々の生活を反省しながら、日本において自分の置かれた場所で福音宣教をしていく決意を新たにしたいと思います。そして司祭としてよく働くことができますように自分自身でよく祈り、皆様のご理解をお願いしたいと思っています。

     

    東京大司教として、6月11日、司祭年終了に当たってのメッセージを発表いたしました。そして皆様に特にお願いしたいことを伝えております。結論を言いますと司祭が頂いた召命をよく生きることができますように、司祭が心身の健康をまもり、神の霊に豊かに満たされますように皆様の理解と助けをお願い致します。司祭は心身の休養が必要です。どのように休養するか、神様と一緒に休養して頂きたい。休養と祈りというのが一つに結びつくように過ごしていただきたい。

    皆様のところに文書が届きますので是非お読み下さい。今日、堅信を受けられる皆さんもよく読んで教会の使命を担い、困難に直面している私たち司祭のためにお祈り下さい。そして、「それじゃ私もやってみようと、司祭になってみよう」と思う人もこの中にいるのではないかと思います。是非神父様に相談をしていただきたいと思います。