教区の歴史

教区の歴史

司祭・助祭叙階式説教

2010年03月27日

2010年3月27日 田園調布教会にて

 

司祭受階者

フランチェスコ 新 直己(フランシスコ会)

 

助祭受階者

トマス 元田 勝哉(フランシスコ会)

ヨセフ 李 信衡(コンべンツアル聖フランシスコ修道会)

インマヌエル・チャン・ヴァン・ビン(コンべンツアル聖フランシスコ修道会)

パウロ 古川 利雅(カルメル修道会)

 

第1朗読 エフェソの信徒への手紙1章3節-14節

福音朗読 ヨハネによる福音15章11節-17節

 

皆さん、

神様はご自分のご計画に協力するようわたしたちをお呼びになります。この神様からの呼びかけが召命です。召命とは司祭、修道者だけでなく、すべての人に与えられる神様からの呼びかけです。

神様はご自分の計画の完成の見取り図をすでに見ておられるのではないでしょうか。聖パウロは今日の朗読で次のように言っています。

「こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。」(エフェソ1:10)

神の救いのみ業が完成するときがきます。そのときにはすべてのものがキリストのもとに一つにまとめられます。

あらゆるものが一つにまとめられるとはどういうことでしょうか。人間はもちろん宇宙の一切のものが一つにまとめられるのです。わたくしはヨハネの黙示が言う「新しい天と新しい地」(21:1)ということばを思い出します。多分同じ事をさしてるのでしょう。「まとめる」とは、多分、完成する、刷新される、完結する、・・・などの意味を含んでいるのだろうと思います。神が完成された世界は、ことばに尽くせない壮大な世界、そして美しい調和の世界であるに違いありません。

それではこの神様のご計画にわたしたちが協力するにはどうしたらいいのでしょうか。

イエスは言われました。「わたしは道であり、真理であり、いのちである。」(ヨハネ14:6)わたしたちは道、真理、いのちであるイエス・キリストに従い、共に歩むことによって「すべてをひとつにまとめる」神様のみ業に協力するのです。これはすべての信者に共通の召命であります。

イエスは言われました。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」まずイエスが先に弟子たちを愛されました。わたしたちは日々、イエスがどのように人々を愛されたのか、学ばなければなりません。そのためにはまず自分がどのように愛されてきたのか、を知らなければならないでしょう。

明日から始まる聖なる一週間、神がイエスをとおしてどのようにわたしたちを愛してくださったのか、愛してくださっているのか、深く悟らせてくださるよう祈りましょう。

 

今日はこれから司祭と助祭の叙階式が行なわれます。そこできょうは司祭の務めと助祭の召命・務めについて、共に考えてみたいと思います。

この司祭、助祭は最高の師であり、祭司であり、牧者であるキリストに仕えます。このキリストの奉仕職によって、そのからだである教会は、神の民、聖霊の神殿として、絶えずこの世にあって築かれ成長していきます。司祭、助祭は福音を宣べ伝え、神の民を聖化し、牧者の務めを果たします。司祭は特に、主キリストを奉献するミサ聖祭を司式するために叙階の秘跡を受けます。

助祭に叙階される皆さん、あなたがたは独身のまま奉仕職を果たそうとしています。独身生活は、牧者としての愛のしるしと励ましであります。主キリストへのひたむきな愛に駆り立てられ、すべてをささげてこの生き方を貫くならば、ほかのことにとらわれることなく、よりたやすくキリストに結ばれて歩むことができるでしょう。より自由に神と人々に仕えることに専念することにより、人々を神によって新たに生まれる者とするため、よりよく奉仕することができるのです。

司祭に叙階される新(あたらし)さん、あなたは師であるキリストにおいて、司祭として教え導くという聖なる務めに携わる者となります。自分自身が喜びをもって受け入れた神の言葉を、すべての人に分け与えてください。そして、神のことばを黙想し、読んだことを信じ、信じたことを教え、教えたことを実行するように心がけてください。あなたの教えが神の民の糧となり、日々の行いがキリストを信じる人々の喜びとなるよう務め、ことばと模範をとおして、神の家である教会を築いていくよう心がけてください。

頭であり牧者であるキリストの務めをそれぞれの立場で果たし、司教と心を合わせ、司教に従って、信者たちが一つの家族となるよう努力してください。

仕えられるためではなく仕えるために来られ、失われていたものを探し求めて救いに導くために来られた良い牧者キリストに倣って生活してください。