朗読奉仕者・祭壇奉仕者選任式説教

    image_pdfimage_print

    2010年3月21日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

     

    祭壇奉仕者 ヘルマン・ヨセフ 大西 勇史(東京教区)

    朗読奉仕者 A・フランシスコ 古郡 忠夫(東京教区)

          使徒ヨハネ    森  一幸(東京教区)

          アロイジオ    大西 崇生(イエズス会)

     

    第1朗読 イザヤの預言43章16-21節

    第2朗読 使徒パウロのフィリッピへの教会への手紙3章8-14節

    福音朗読 ヨハネによる福音8章1-11節

     

    「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」

    有名な言葉です。わたくしはすでに少年の、まだ信者でないときに、この言葉を文語で知りました。確か「汝らのうち罪なきもの、まず石もて打て」だったと思います。

    羞恥と恐怖で震(ふる)え戦(おのの)いているこの女性を取り巻いて律法学者たちやファリサイ派の人々がまさに石打ちの刑を実行しようとしていました。

    このような場面を今の日本社会では想像することが出来ません。当時のユダヤの社会では事情がまったく違っていました。姦通は今日の「罪」というより犯罪の意味のほうが強かったと思います。大きな反社会的行為であり、集団が断罪して犯罪者を排除することになっていました。

    ちなみに旧約聖書には死刑に処せられる罪が実に多く出てきます。「死刑に処せられる」「民の中から絶つ」「死罪にあたる」「民の中から絶たれる」などの表現で死刑が規定されています。(レビ記20章など)実にイスラエルの神は怒りの神であり、掟に背く者には死をもって報います。罪に対する神の怒りがここに現れています。

    さて、この女性はどのような事情でこういう事態に立ち至ったのでしょうか?相手の男性はどうなったのでしょぅか?彼の責任はどうなるのでしょうか?福音書は何も語っていないので分かりません。

    律法学者たちやファリサイ派の人々はイエスにしつこく回答を迫り、どう答えてもイエスが窮地に陥るように仕向けます。ここに彼らのイエスに対する悪意が現れています。

    ついにイエスは答えました。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」

    彼らはこのイエスの言葉を聞いて、たじろぎ、「年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った」のです。

    わたしたちは、大体において犯罪者ではないと思います。しかし罪人でないとは言えません。神の前に罪を犯したことにない人は誰もいません。また、異性との関係において不適切なことがないとは言い切れるひとも少ないでしょう。

    「誰もあなたを罪に定めなかったのか」というイエスの問いに女は「主よ、誰も」と答えます。「罪に定める」は「断罪する、有罪判決をする」という意味です。「わたしもあなたを罪に定めない」とイエスも答えます。しかし罪を犯してよいとは言われませんでした。そうではなく、「これから、もう罪を犯してはならない」とイエスは言われました。

    正義の神はわたしたちに義を求め、怒りを表しますが、また同時に神はあわれみと慈しみの神です。神は自らをなだめて処罰を思いとどまる、という表現も見られます。イエスは罪人を招き、赦す父である神を示されました。神は赦し救う神です。

    この後この女性はどうなったのでしょうか?

    神はこの女性の最終的判決は最後の審判のときまで延期されたのだと思います。

    今日、祭壇奉仕者、朗読奉仕者の選任を受ける皆さん、皆さんはこの神の赦しを伝える新約の司祭への道を歩でいます。

    罪を赦すということは罪を認めることではないし、また悪を善とすることでもありません。神の愛と赦しを伝えながらこの世の悪と戦い、教会共同体が神の赦しと愛のしるしとなるよう努めるのか司祭の使命です。

    不条理な悪の多いこの世界です。次の祈りを心から唱えたいと思います。

    「わたしたちを誘惑におちいらせず悪からお救いください。」