教区の歴史

教区の歴史

東京教区司祭叙階式

2010年03月07日

2010年3月7日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

受階者

フランシスコ・アシジ 伊藤 淳

使徒ヨハネ      田中 昇

フランシスコ・アシジ 倉田 厚

 

朗読箇所

第1朗読 イザヤの預言 61・1-3a

第2朗読 コリントの信徒への手紙二 4・1-2,5-7

福音朗読 マルコによる福音 16・14-20

 

きょう司祭に叙階される

フランシスコ・アシジ 伊藤 淳さん、

使徒ヨハネ      田中 昇さん、

フランシスコ・アシジ 倉田 厚さん、

あなたがたは今、ご列席の皆さんの前で、「今日から東京教区の司祭となり、東京教区の司祭として生涯をささげてその任務をまっとうする」という約束をしようとしています。三人は今日の約束を深く心に刻み、これから司祭の務めを果たす日々、この約束を思い起こし、決意を新たにしてください。

復活された主イエスは11人の使徒たちに言われました。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)

あなたがたは使徒の後継者である司教の協力者となり、司教を助け、司教のもとで福音を宣べ伝え伝えるものとなります。福音を宣べ伝えるためには自らが福音を深く信じる者でなければなりません。三人は長い間、信仰の学問である神学や聖書を学んできました。それは自らの信仰を深めるためであり、また信じている信仰をよりよく理解し説明するためでありました。これからは、自分が信じ、また学んだ信仰を、できるだけ分かりやすく伝える、という任務を果たすことになります。さらにまた、言葉だけでなく自分の生活と行いによっても、自分が信じていることを人々に指し示していかなければなりません。多くの人があなたがたの働きを待っています。現代の日本において、多くの人が迷い、悩み、人生の意味を求めています。どうか現代の多くの人々に、神の光、神の愛を伝え現す使命の遂行に励んでください。

今日司祭に叙階されるあなたがたを通して働かれるのは、あなたがたの中におられる主イエス・キリストです。あなたがたはキリストの道具になり、また使者になるのです。わたしたちは復活されたキリストに出会い、キリストを信じ、復活の光を受けました。そのときから復活されたキリストがわたしたちとともにおられ、わたしたちの中に住んでおられます。使徒パウロが言われるように、わたしたちは、自分自身のことを宣べ伝えるのではなく、闇の中に輝く、イエス・キリストの復活の栄光を宣べ伝えるのです。

わたしたち自身は弱く罪深い人間です。使徒パウロは「土の器」ということばを使っています。「土の器」とはわたしたちの弱い、脆い人間性を指しています。実際、わたしたち司祭は「土の器」に司祭の務めを受けています。司祭の任務の遂行には大きな困難が伴います。自分の弱さを思い知らされることの多い毎日です。しかしこの弱い人間を通して神の偉大な働きが現れます。弱い「土の器」であるわたしたちを通してキリストの光が輝き出、キリストの力が働くことをわたしたちは信じ希望しています。

わたしたちはキリスト者と呼ばれます。キリスト者とは「キリスト」に由来し、キリストの弟子、キリストに従って生きる者という意味です。そして「キリスト」という言葉は、「油注がれた者」という意味であることを私たちは知っています。油を注がれるとは聖霊の恵みを受けて神から使命を授かることを意味しています。

「主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。」(イザヤ61:1)今日の第1朗読のイザヤの預言の言葉です。

油を受ける、塗油されるとは聖霊の賜物、力を受けることであります。わたしたちキリスト者は、キリストの使徒として証しを立てることができるよう、堅信の秘跡を受けます。きょう叙階される三人は、洗礼と堅信の秘跡の上にさらに叙階の秘跡にあずかり、司祭の任務を受けるのであります。司祭の叙階の秘跡は聖霊の特別な注ぎによって、既に助祭であるキリストの弟子を、祭司・預言者・王という三様の任務において、キリストにかたどられた者、キリストに似た者とする秘跡です。

「信じる者には次のようなしるしが伴なう。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る」(マルコ16:17―18)

今日のマルコによる福音で主はこう言われました。この言葉を現代のわたしたちはどう受け取ったらいいのでしょうか。悪霊、蛇、毒などのことばは悪の力を現していると思われます。従ってこのイエスの言葉は、「神の愛と神の力がすべての悪にうち勝つ」ことを述べていると考えられます。わたしたちは主の復活の栄光にあずかるものであります。弟子たちの派遣に際してイエスはこの信仰を堅く持つよう勧め励ますために、「信じる者には・・・」と言われたのだとわたしは考えます。

皆さん、わたしたち一人ひとりも、特にこの復活のキリストへの信仰を深めてくださるよう、ご一緒にお祈りいたしましょう。