教区の歴史

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主の降誕夜半のミサ説教

2009年12月24日

2009年12月24日 午後10:00
東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

今夜わたしたちはクリスマスのミサをささげています。クリスマスという言葉自体がキリストのミサを意味しています。クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝うミサであります。イエスを救い主と信じるキリスト教徒がクリスマスを喜び祝うのは当然ですが、きょうはキリスト教信者でない方も多数ミサに参加してくださっています。カトリック教会では一年中ミサをささげておりますが、今日ほど多くの方が参加されるミサはありません。毎年思うことですが、これは大変ありがたいことです。イエスの誕生を喜び祝うということはすべての人の誕生を喜び祝うことに通じます。クリスマスは全人類の祝祭であります。 今日はすべての人が互いに誕生を祝うべき日です。

しかし、世界の現実はなかなかすべての人が自分の誕生と存在を祝い喜ぶような状況にはありません。今年の正月元旦の「世界平和の日」、ローマ教皇ベネディクト16世は「貧困」という問題を取り上げ、貧困と闘うことにより世界の平和を実現しようと呼びかけました。現実に厳しい貧困という問題があります。

日本も経済不況の直撃を受け、多くの人が職を失いました。2009年の日本は『年越し派遣村』のニュースとともに始まったといえましょう。

今、人類は、病気、障害、戦乱、紛争、殺人などの犯罪などで苦しんでいます。

わたしがとくに注目するべきと考えるのは、日本の社会で自死者が多いということです。連続11年間年間3万人が自死を遂げています。生きることを難しくする力、悪の力が社会を覆っているような気がします。誰もが、生きている喜びを享受する社会を建設することがわたしたち人類の責務であります。

貧困は大きな問題ですが、貧困が孤独・孤立と結びつくとさらに悲惨な結果をもたらします。多くの自死者は病気や貧困に苦しみ、さらに、人と人の暖かいつながり、絆を失い、生きる気力を喪失してしまったのではないでしょうか。

ここで今日の使徒パウロのテトスへの手紙のメッセージのなかにわたしたちに生きる道を探し求めたいと思います。

「すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。」

パウロは不信心を捨て、現世の欲望を捨て、キリストの現われを待ち望む希望に生きるように、と薦めています。

今の時代の大きな問題は、人々が偉大な存在、超越的存在への畏敬の念を失っている、ということではないでしょうか。昔の日本人には、「お天道様がみている」というような素朴な気持を持っていました。神・仏を畏れる敬う心がありました。この素朴で敬虔な心情が今の人からは消えてはいないでしょうか。これは大きな問題だと思います・

また現代の大きな問題は、現代人はこの世が造りだした欲望、わたしたちを次々と刺激するさまざまな欲望によって操られている、ということではないでしょうか。この世界は人間が造ったもの、人間は自分のつくり出した欲望に蹂躙され、自分で自分の欲望の奴隷となっています。

貧しさのただなかにお生まれになったイエスにならって、金銭欲、名誉欲、肉体の欲望から解放され、日々清清しい生活を送りたいものであります。自分の欲望から解放され、お互いに掛け替えのない存在として愛おしく思い、自分に命を与えてくださった偉大な存在を敬う心を養うようにしたいものです。そうしてこそ、人は自分のいのちの尊さを自覚し、人のいのちを尊く思うのです。

主キリストがわたしたちひとり一人の霊魂を浄め、永遠のいのちへと導いてくださいますように!