教区の歴史

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聖パウロ修道会 来日75周年記念、司祭叙階・修道誓願宣立25周年記念「感謝のミサ」説教

2009年11月03日

2009年11月3日 麹町教会にて

 

第一朗読 エフェソ4・1~7、11~13
福音朗読 ヨハネ15・9~17

 

聖パウロ修道会来日75周年を心からお祝い申し上げます。また3人の会員の皆様、戸村神父様、山内神父様、井手口修道士様、それぞれの司祭叙階・修道誓願宣立25周年を心からお祝い申し上げます。

今日読まれましたヨハネの福音の箇所は15章です。イエスは言われました。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

私たちが何度も何度も聞いている主イエスのご命令でございます。このお言葉の中で、今日は「わたしの名によって父に願うものは何でも与えられる」というイエスの言葉に注意を向けたいと思います。私たちは毎日いろいろなことをお願いしております。イエスの名によってお願いしております。その場合、その願いがイエスの願い、イエスの名によって天の御父にお願いする願いとしてふさわしいものであるかどうかということが、大切ではないでしょうか。イエスの名によって願うということは、イエスが取り次いでくださるということであり、イエスご自身のお願いとして天の御父に届けてくださるという意味でございます。

今日の「集会祈願」の祈りはまさに、イエスの取り次ぎを願う祈りとしてたいへんふさわしいものであると思います。

私たちは次のように祈りました。「この兄弟たちが、あなたの愛に強められて奉献の決意を新たにし、神の栄光と人々の救いのために、使命を忠実に果たすことができますように。」聖パウロ修道会の3人の方が、使命を忠実に果たすことができますよう、生涯にわたり、ご一緒に心からお祈りをしたいと思います。

イエスは「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも愛し合いなさい」と、私たちにご命令を伝えております。人を愛するということについて、私たちは何ができるのか? 何をなすべきかということを、今日、自らに問うてみたいと思います。

今日のエフェソの教会への手紙の中で、使徒パウロは教えております。「一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和の絆で結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。」

このパウロの教えはほんとうにごもっとも、そのようにしたいと思いますが、なかなかそうできない自分を見い出したりするものであります。現代のこの日本の社会で、この東京教区において、イエスの教えを心に刻み、パウロの勧めに従って生きることが、私たち教区の使命であります。

「わたしは道であり、真理であり、いのちである。わたしがいなければだれも父のもとへ行くことはできない」とイエスは言われました。私はいつも東京教区の使命を考え、祈っております。東京教区のカテドラルである関口教会においていつも、主日のミサの時に次のような祈りがささげられております。

「どうかわたしたち東京教区に、現代の荒れ野において悩み苦しむ多くの人々の癒し、慰め、励まし、希望となって歩む恵みをお与えください。」この願いを私たちは、日々深く心に刻み、そしてイエスの取り次ぎを願って主にささげたいと思います。

2009年1月25日、聖パウロの回心の日でございます。その日のミサの説教を私が担当いたしました。その時に申し上げたことは、この祈りのことでありました。「私たち東京教区は、まさに現代の荒れ野に置かれていると思います。荒れ野、あるいは砂漠は、人が生きるのが難しい環境であります。生きる力がそがれてしまうという厳しい状況にあります。人々は孤独に苦しみ、孤立し、そして暗闇に押しつぶされそうな思いで日々を過ごしている、そういう人々が少なくはないでしょう。」

そこで最近一つの祈りを思い浮かべております。それは皆様もたぶんご存知の祈りであります。アメリカのプロテンスタントの神学者でラインホールド・ニーバーという方がおられました。戦争中に作られたというか、なさった説教から始まった祈りだと思います。

英語で「Serenity Prayer」と言います。「静けさの祈り」という祈りであります。戦争中、第二次世界大戦、アジア太平洋戦争の最中に生まれた祈りで、多くの人に引き継がれ、愛された祈りであり、皆様も聞いたことがあると思います。作者は三つのことを神に願っております。

まず静けさをください。自分に変えることのできないものを受け入れる静けさをください。

次に勇気をください。自分が変えることのできるものを行う、変えていく。変えていかなければなりません。自分自身を変えなければいけませんし、私たちの教会を変えていかなければなりませんし、この社会を変えていかなければならないし、この世界を変えていかなければならない。でもこれは途方もないことであり、しばしば無力に抑えられてしまいます。でもできることがある。この私が、私たちができることがある。それをしていかなければなりません。そのためには勇気が必要です。

そこで三番目にお願いしている賜物は、変えることのできないものと、変えることのできるものとを、識別する知恵をください。この知恵です。英語で恐縮ですが、「wisdom」となっております。

それでちょっと無理な結び付けになるかもしれませんが、司教として私はたびたび、最近は季節でありますので、ほとんど毎週、堅信の秘跡を授けておりますが、堅信の7つの賜物というのを授けます。7つの賜物とは何かというと、 知恵と理解、判断と勇気、神を愛し知る恵み、神を敬う心となっております。

この知恵というのが、昔は「上智」でありまして、ラテン語では「Sapientia」と申しまして、英語では「wisdom」ということを発見しました。この知恵、識別する知恵。自分が行うことができる、自分が行うべきこと、あるいは自分しかできないこと。

そこで来日75周年を迎えられました聖パウロ修道会の皆様。皆様によって変えることがたくさんございます。この現代の荒れ野の中で、この識別の知恵と勇気をもって、豊かないのちの泉を沸き立たせる使徒職の働きを、是非ともしっかり行っていただきたい、とお願い申し上げます。