教区の歴史

教区の歴史

板橋教会堅信式ミサ説教

2009年10月11日

2009年10月11日 板橋教会にて

 

今日は、これから堅信式のミサが行われます。これは洗礼を受けて神の子どもとなった皆さんが、イエスが聖霊降臨のときに与えてくださった同じ聖霊の賜物を受けて、さらに強められ、信仰を立派に証して伝えられるように、授けられる秘跡です。

いま読まれた福音で、イエスは金持ちの男に「持ち物をすべて貧しい人に施して、私に従いなさい」と言われました。「すると、青年は大金持ちだったので悲しんで去っていった」と書いてあります。そして、イエスが青年に言われた時の様子が「イエスは彼を見つめて慈しんで言われた」と書かれています。この「慈しむ」という言葉は「アガペー」から来ています。アガペーは神の愛です。その動詞を「慈しむ」と訳しました。イエスはこの青年をじっと見つめて、彼に向かって言われたわけです。その青年は大変な大金持ちでした。どういう家の人だったのでしょうか?どんなことをしている人だったのでしょうか?

また、弟子たちは「金持ちが天に入るより、らくだが針の穴を通る方がやさしい」と言われたイエスの言葉に驚きました。これはどういうことでしょうか。しばしば、聖書には誇張された表現が出てきますし、ヘブライ人文化の言い方であるのかもしれません。「そんなことは誰も出来ないでしょう」と弟子に言われると、イエスは「神様に出来ない事はない。」とお答えになりました。 

さて、修道者には、貞潔、清貧、従順の三つの誓願があります。こちらのフランンシスコ会の神父様は清貧の誓願を立てておられます。アッシジの聖フランシスコは特に清貧に優れた方であります。ちょうど一週間前は、日曜日と重なりましたが聖フランシスコの祝日でした。彼の清貧は世界中の人々に非常に大きな影響を与えました。この福音書にでてくる青年は、イエスの言葉に従うことができなかったのですが、そのとおりにした人もいるわけです。アッシジの聖フランシスコはそのとおりにしました。この聖フランシスコの生き方に共鳴した人々が集まり、やがて共同体が出来て、今やフランシスコ会は世界中に広まっています。皆さんは修道者ではないので、修道誓願を立てているわけではありませんが、清貧の精神はとても大切です。 

最近感じていることですが、私たちの生活は、どんどん物があふれて必要でないものまで沢山あります。他方、世界には、その日の食べ物がない人たちや、飢えに苦しんでいる人たち、飢えで亡くなる人たちが沢山おられます。このような現実をどう考えたらよいのでしょうか。

私は、先日会議のためフィリピンのマニラに行く機会がありました。その時に外国から来た司教さんたちと話しをしました。そこで、私は現在の日本の社会状況が特殊な状況にあることを、改めて痛感しました。日本の国は、まだ食べられる食品が大量に捨てられている。商品価値が無いとみなされると、それらを捨てなければならない。他方、数えきれない多くの人たちが餓死している。

もうひとつの事実は、日本は非常にストレスの多い社会で、人々は色々な悩みをかかえていることです。複雑な人間関係、様々な苦しみ、心の悩み、病気,障がい、孤独があり、それらが重なって仕事も奪われ、友達もいない。そのような状態に追い込まれた人が、もう自分の生涯を自分で終わりにしたいと思い、自死をとげる人たちが年間3万人以上もいる。これが今の日本の社会なのです。

物は豊かにありますが、でもいつもいのちが脅かされている。

では、私たちにとって、こういう社会の中で清貧を生きるとは、どういうことでしょうか? 

私たちは、あまりにも物に囚われ、物の価値に振り回されすぎて、本来の人を大切にし、人と人のつながりを大事にする心を、どこかに置き忘れてしまってはいないでしょうか。そのように思います。 

日本は戦争に負けて、皆、一生懸命に働いてきました。私の世代がちょうど日本の高度経済成長期に重なるのですが、その結果、人々は経済的には豊かになったけれど、毎日が仕事に追われる生活になり、最近は過労死のように働きすぎて、働かされ過ぎて死んでしまうこともある。このような社会が本当に豊かな社会がといえるでしょうか?そんな気がいたします。

もっと簡素で質素な生活、そして人と人とがあたたかく支えられ、助け合う生活ができないものでしょうか?そのように日々考えております。 

教皇ベネディクト16世は、今年元旦の「世界平和の日」のメッセージで「貧困と闘い、平和を築くように」と述べておられます。ところで、清貧と貧困は似ているようですが全く違います。

貧困によって、人々はどんなに重い苦しみを味わっているのでしょうか。この現実は、今世界の大きな問題であります。教皇様は今年の7月に、回勅『カリタス・イン・ヴェリターテ』を出されました。これは「真理に根ざした愛」と言う題名です。カリタスの意味は愛、アガペーです。アガペーは、神と人、人と人との間にあるべき一番大切なことですけれども、国と国、団体と団体、民族と民族の、間にも適用される一番大切なことで、それがカリタス、アガペーです。教皇様は回勅で、国と国がカリタスで助け合うように、真理に従って世界の状況をもっと良くするように、と言っておられます。 

また、アメリカのバラク・オバマ大統領は、今年4月にチェコのプラハで市民数千人が注目する中、核廃絶を訴える演説を行って世界中に大きな反響を呼び起こし、今年ノーベル平和賞を受賞することになりました。国々の中には、人を殺すためにこれだけ莫大な費用を使いながら、人を生かし養い育てるためには資金を出さないという、現状があります。そのような世界のなかで一番核兵器を持っている国の責任者である大統領が、核廃絶を訴えたのは大変大きな出来事です。同時に、私たちも、自分で出来る平和への貢献をしていかねばならないと思います。 

今日、堅信の秘跡を受けられる皆さん、どうか皆さんの生活や仕事の中で、力を合わせて、次のようなことを心がけてください。まず、自分の生活をより簡素な、質素なものにし、無駄なお金は使わないで、それを困っている人のために献金する、あるいは、貧困で苦しんでいる人々のために、自分でできる貢献をすることです。これらのことを行うのは簡単なことではありません。

今世界はグローバリゼーションといわれて、世界が全部ひとつに結びついています。そして、その連鎖ゆえに人々は複雑な状態にあります。どこをどのようにすれば良いのか、ひとえに語ることはできませんが、どうしたら良いのか、これから皆さんと一緒に学んでいかなければならないと思います。

清貧と貧困、清貧を心がけ、貧困と闘うこと、これを今日特に皆さんに考えていただきたいと思います。