成城教会堅信式ミサ説教

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    2009年9月13日 成城教会にて

     

    今日は年間第24主日、ミサの中で50数名の方が堅信の秘跡をお受けになります。堅信とは、洗礼を受けて神の子となり、教会のメンバーになったキリスト者をさらに聖霊降臨と同じ恵みに与らせ、キリストの使徒とする恵みを授ける秘跡であります。堅信を受けたものはこの日本の社会にあって、キリストの十字架上の死と復活を力強く宣べ伝え、証しするという使命を受けるのであります。 

    ところで堅信を受ける皆さんが遣わされる今の日本の社会はどんな社会なのでしょうか。

    日本はいま、大変長生きの社会となりました。昨日知ったのですが、100歳を超える人が4万人いらっしゃるそうです。それはすばらしいことですが、他方、年間自殺する人(自死を遂げる人)が年間3万人もいます。11年連続です。この事実をどう受け取ったらいいでしょうか。

    9月10日は「世界自殺予防デー」であり、10~16日は「自殺予防週間」となっているとのことです。 

    実に生きるということは大変なことであり、人生には苦しみが伴います。仏教では四苦八苦ということを申します。すなわち「生病老死」が四苦、それに「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」が加わって八苦となります。

    自殺者の原因・動機は主として健康問題であり、そのなかでも「うつ」が最も多いとのことです。 

    先日9月5日、麹町教会で教区と麹町教会主催で「こころのセミナー」がありました。教区の優先課題である「こころの問題」について学ぶためです。

    心の病気になればお医者さんに診てもらわなければなりませんが、当事者だけでなく、周りの人、家族も、病気の人にどうしたらいいのか、あるいはどうしたらいけないのか、を知る必要があります。教会もその人々のために何が出来るか、何はしてはいけないのかを学ぶ必要があります。そういうことで精神科のお医者さんである信徒の方にお願いして、お話しをして頂きました。大変有益でありました。

    今日は先生の話の中で特にわたしの心に残ったことを申し上げます。

    先生はメンタル・ヘルスの「予防」ということを言われました。うつ病にならないようにする予防が大切で、その予防の中でも「アファーメーション」(自己肯定)、自分を肯定すること、自分の価値を認めること、自分には愛される価値があると信じること、が大切とのことです。

    うつとは、生きる力、意味を奪う病気です。病気には治療が必要ですが、この「自己肯定」予防には信仰が大きな役割を果たすと思います。なぜなら、実に、神様からわたしたちへ向けられているメッセージとは「わたしはあなたを愛している、大切に思っている」ということだからです。 

    でも、人は苦しみの中でどうして自己肯定をすることができるでしょうか。今日の聖書から学びましょう。

    今日の第1朗読はイザヤの預言の「主の僕の歌」でした。

    また今日の福音でイエスは、「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と言われます。

    ともに「苦しみ」について述べています。なぜ人は苦しまなければならないのでしょうか・・・。

    受難の予告をしたイエスの言葉をペトロは理解できませんでした。そこで、ペトロはイエスを脇へお連れして、いさめ始めました。それは全くあってはならないこと、とんでもないことです・・・。

      十字架と復活はキリスト教の教えの中心です。復活したイエスに出会った回心したパウロはコロサイの信徒への手紙で述べています。

    「今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。」(1・24)

    パウロは喜んで苦しむと述べます。それどころか「キリストの苦しみの欠けたところ」を補うとさえ言います。難しい表現です。わたしたちの苦しみはキリストの苦しみと一緒になって父である神に捧げられるべき苦しみなのです。

    普通なんとなく、神は苦しみから超越している存在、と考えるかもしれませんが、聖書の神はそうではありません。聖書の神はわたしたちのために、もだえ苦しみ、心に痛みをおぼえる、そういう神であります。

    ホセア預言者で言われています。

    ああ、エフライムよ

    お前を見捨てることができようか。イスラエルよ

    お前を引き渡すことができようか。(中略)

    わたしは激しく心を動かされ

    憐れみに胸を焼かれる。

    わたしは、もはや怒りに燃えることなく

    エフライムを再び滅ぼすことはしない。わたしは神であり、人間ではない。お前たちのうちにあって聖なる者。怒りをもって臨みはしない。(ホセア11・8-9)

    イスラエルの神は赦す神であり贖う神であり、そのために苦しんでくださる神です。主なる神はすべての人を救い、罪をあがなうために御子イエスを遣わされ、御子が十字架にかかる苦しみを忍ばれました。イエス・キリストの死と十字架から復活の信仰と希望が生まれます。わたしたちはその証人です。

    苦しむ神を信じる信仰はわたしたちの人生への希望と勇気の源です。

    今日堅信を受けられる皆さん、この信仰、死からいのちへの過ぎ越しの信仰を力強く宣べ伝え、証ししてください。