福者コルカタのテレサの記念日ミサ説教

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    2009年9月5日 神の愛の宣教者会 東京修道院にて

     

    第1朗読 雅歌8章6-7節
    第2朗読 コリントの教会への手紙一 13章1-13節
    福音朗読 マタイによる福音5章1-16節

     

    今日はコルカタの福者マザー・テレサの生涯から最も大切なことについて学びたいと思います。

    マザーは日本に何回も来てくださっています。日本とインドでは大きな違いがあります。インドは最近経済的にも大きな発展をしてきておりますが、私たちから見るとまだまだ貧しい国であると思っています。路上での生活を余儀なくされ、そこで死んでいかなければならない人が多数おられる、と聞いています。それでもどちらの人々が幸せかと言うことは、一概には言えないと思います。マザーが言っていたことですが、日本には淋しい人々が多い。誰からも必要とされていない人々です。そのような人々は、自分の存在が他の人々にとって意味のある、また慰めや励みになっているとは感じられないということがあります。多くの人が生きる気力がない、やる気がない、萎えてしまっているのではないかと思われるのです。マザーは日本の社会にとって最も大切なことは、一人一人が大切な存在で、神様はひとり一人を大切に思っているのだ、あなたがそこにいることは大切なことなのだ、意味のあることなのだ、ということを教えてあげる、伝える事だと言っています。日本の社会の中で多くの人が悩み苦しみ病気になったり、仕事がなかったりしますが、最も重要なことは自分が周りの人々との中で必要とされているのだということをいつも感じていることだと思います。

    次に、他の宗教の人々との関係についてです。インドでもキリスト教もあるでしょうが、ヒンドウ教が主であり、ほかにイスラム教や、仏教など色々な宗教があります。先日フィリピンでインドのカトリックの司教様たちと会いましたが。使徒聖トマスがキリスト教をインドに伝え広めたと言われています。インドにはラテン典礼のほかに東方典礼の教会もあります。信者のそのパーセンテージは低いのですが日本より多いし、それにインド全体膨大な人口です。信者の数は多いです。

    そんなインドで、マザー・テレサの葬儀は国葬でありました。これは大変なことです。マザーが神の愛の宣教者会を始めた頃は色々な誤解や邪魔がありました。

    マザー・テレサは、色々な宗教の人々が亡くなられた時、その人の宗教で一緒にお祈りをし、安らかな最期を迎えることが出来るように助けたと聞いています。

    神の愛を宣教するということは、すべてのキリスト教信者がしなければならないことです。そしてそれは全ての人に対してしなければならないことです。教会に来て聖書の勉強をしなさいとか、教えを守りなさいとかいうことも大切ですが、その前に誰からも自分を必要とされていなくて淋しい思いをしている人がいたとしたら、まずその人が神様から愛され大切にされ必要なのだということを分かっていただけるように接することが求められる。これは言うことは簡単ですがなかなか難しいことでもあります。私たちはすばらしい人とか、好ましい人とか、元気な人には良くしてあげる、あげやすい、自分も気持ちが良いし、自分のためになりやすいですから。しかし我々は失敗したり、ずたずたになったり、自分で自分の価値が認められない、自分で自分が嫌になってしまう、そういうことがないでしょうか? そういう人は自分でも楽しくないし、他人を楽しませることもない。そういう人に自分は大切な人なんだということをどうやって分かってもらえるだろうか?

    それは神の愛を伝えるしかないのです。神の愛とは、1コリント13章で教えられている「愛」です。マタイ5章の山上の説教での「幸い」について述べています。迫害されている人がどうして「幸い」なのか、心の貧しい人がどうして「幸い」なのか、心の貧しいということをどう説明するかは難しいことですけれども、これはイエスのことばであり、神様はそういう人々を大切にするのだという神様の御心を伝えていかなければならないと思います。

    マザー・テレサという人は最も多くの人々から敬愛されました。キリスト教という枠を越え、国境を越えて、色々な人から大切にされ、慕われていました。見えることを信じること信仰ではありません。見えない神を信じ、見えない神の愛を信じることが信仰です。マザーにも信仰上の心の葛藤、こころの渇き、色々な試練もあったと聞きました、しかし彼女はそういうことに耐えて、そういうことを乗り越えて、立派な生涯を送られたと聞いております。信仰生活に入る時も救い、喜びや幸せを感じることがありますが、長く信者や信仰生活を続けていると、何も喜び、慰めを感じられない、ということがあるかも知れない。マザー・テレサにもそういうことがあったそうです。人間として大きな喜びがあったから出来たのではなく、苦しいことも多々あったけれども、神の愛を知り、それを人々に伝えられたのです。それで多くの人に尊敬される生涯を全うすることができたのであろうと思います。

    わたしたちも信仰の試練に打ち勝つことができますよう、福者コルカタのテレサの取次ぎによって祈りましょう。