多摩地区の教会の皆さんへ 平和旬間挨拶

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    2009年の平和旬間を迎えるに当たり、多摩地区(多摩東・多摩西・多摩南・多摩北・各宣教協力体)の教会の皆さんへ挨拶を送ります。

    はじめに、今年の多摩地区の担当の多摩南宣教協力体である、喜多見、成城、町田の教会の皆さんに御礼申し上げます。多摩南の皆さんには今年の多摩地区の平和旬間の準備、企画、運営をお引き受けくださり、有り難うございます。

    私の希望として、 従来の取り組みから、より広く平和について学び・考え・祈る機会を多くの皆さんと共有したいと願っております。そのため、カテドラルを中心とした企画に加え、東京教区が地理的に東西に長い特性を生かして多摩地区と千葉地区でも平和のための企画をお願いしております。

    さて、教皇ベネディクト16世は2009年元旦の「世界平和の日」のメッセージの中で言われました。「皆様の心を広げて、貧しい人の必要に答え、可能なあらゆる実践的手段を用いて貧しい人を助けください。『貧困と闘うことが、平和を築く。』だれもこの格言の真理にあらがうことはできません。」

    また先日、新しい社会回勅『真理に根ざした愛』を発表され、貧困などの現代世界の諸問題は「真理に根ざした愛」によらなければ解決しない、と教えておられます。

    わたしは、「真理に根ざした愛」とは何だろうか、と考えておりましたところ、たまたま次のような趣旨の記事を読み、ショックを受けています。

    「日本では、まだ食べられる食品が、商品価値がなくなったとして、膨大に捨てられている。コンビニ店が捨てる弁当は年間4億2千万食分に昇り、そして廃棄食物の総量はその30~50倍になるという。全世界で、今この瞬間にも、飢餓に苦しむ人々が何億人もいるというのに、日本ではこうして人間自身の生命そのものとそれを養う食物がかんたんに捨てられる状況がある。」

    このことは、本当におかしい!と私は考えます。まさにこれは「真理に根ざした愛」に背く現象ではないでしょうか。

    2004年のノーベル平和賞受賞者であるケニアのワンガリ・マータイさんは、ものを節約して大切に使うという意味の日本語“もったいない”に注目しました。この“もったいない” という言葉は、かつてはすべての日本人の心に深く刻まれていました。しかしいまは消えつつあります。他方、消費社会のなかで多くの日本人が生きがいを喪失して自死にまで追いつめられています。まさにこの状況は、消費社会の影の部分であります。

    アダムとエヴァが犯した人類の最初の罪、原罪の結果は人類の心の中に深く浸透し、この世界の構造的悪を生み出しています。わたしたちは、自分のいのちを与えられ、自分のいのちを養って頂いている、ということへの素朴で真摯な感謝の気持を忘れかけています。また無償で受けたものだから無償で分かち合うのは当然、という心も薄れています。わたしたちのいのち、食物、持っているもの何でも、実は与えられたもの、賜物であります。年間第17主日(7月26日)の福音、5つのパンと2匹の魚の奇跡の話を思い出しましょう。必要な人に必要なものが無理なく行き渡る世界、それが当然であると誰しも思う世界、を築いていきたいと思います。イエスは言われました。「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」(マタイ10・8)