幼稚園連盟教職員研修大会ミサ説教

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    2009年7月29日 麹町教会にて

     

      日本カトリック幼稚園連盟の「第54回 教職員研修大会」を、ここ東京で開催していただき、暑い中このように多くの皆さまにご参加いただきまして、まことにありがとうございます。開催地の司教として心から御礼申し上げます。 

    きょうは、カトリック教会の典礼では「聖マルタ」の日になっております。マルタにはマリアという姉妹がおりました。「マルタとマリア」は有名な話、有名な個所です。マルタがマリアのことで、イエスに文句をつけたという場面です。

    マルタに対して、主はお答えになりました。

    「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

    わたしたちは、というか、わたしなどは「あれもある。これもある。」といろいろなことに思い煩い、これをやろうとすると別なことが浮かんできて、そっちをやっているとまた別のことが心に浮かび、というようなところがございますが、そのようなとき、このイエスのことばを思い出します。「大切なこと、必要なことは一つだけ」。そのことに専念し、一生懸命やる。そうすればよいのではないかと思います。ただ「神の国とその義を求め」ること。「そうすれば、他のものはそれと一緒に与えられる」と山上の説教(マタイ6・33)でもイエスは言っておられます。 

    「マリアは、イエスの話に聞き入っていた」と書いてあります。イエスは、どんな話をしていたのでしょうか。それは神の国の福音、天の父である神様のことなどであったと思われます。

    ヨハネの手紙によりますと、ヨハネという人は、「神は愛である」ということを力強く、繰り返し説いた人でありますが、イエスも、「神は愛である」ということをお話しになっていたのかもしれません。

    「愛」ということばは、誰でも知っている非常にありふれたことばでありますが、人間は誰しも、自分は誰であるのか、ということが最大の関心事であります。自分は誰なのか、何のためにここにいるのかということです。そのときに、「あなたは大切な人なのだ、あなたは大切な存在だ。わたしたちはあなたを必要としているし、あなたがいてくれることが嬉しいのだ。あなたにはあなただけにしかない価値がある」そういうメッセージを送らなければならないのです。 

    「あなたが大切だ」それを神様が教えてくださいました。御独り子であるイエス・キリストをこの世にお遣わしになり、そのイエス・キリストの生涯、特にその最期、「十字架と復活」という出来事をとおして、神が愛であることをわたしたちに教えてくださいました。

    果たして、この日本に住んでいる一億二千万以上の人たちが、自分は大切にされているとほんとうに日々感じているでしょうか。自分がいてもいなくてもこの世の中には何の変化も起こらない。それどころか、自分は邪魔者扱いされていると感じている人もいるのではないでしょうか。 

    自分が大切にされているという思いは、まず何よりも生まれて、育てられるとき、幼児に与えられるものであります。一番そのことに責任があるのは両親でありましょう。そして、幼い時の教育を担当する方々、つまり、皆さまであります。皆さまは、一人ひとりが、かけがえのない大切な存在なのだということを伝える大切な使命を持っていらっしゃいます。これは本当に優れている、教会的な仕事、キリスト教的なお仕事であると思います。

    「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(ヨハネの手紙一4・9-10)

    と使徒は述べているのです。 

    ひとりの人を大切にするということは、その人の言うことや行うことが全部正しいとか、問題がないとかいう意味ではないことを、皆さまはよくご存じのことと思います。これは何も子どもに関してだけのことではなく、すべての人に言えることです。ひとりの人を大切にするということは、その人の言うことやることを全部認めるという意味ではありません。

    しかし、このことが頭では分かっていてもなかなか難しいのが人間というものであり、やっかいなものであります。その人のやること、思うこと、言うことが必ずしも正しいとは言えない。まして人のためになると言えない場合もあるわけで、むしろそちらの方が多いかもしれない。それでもその人は大切なのだ、ということをどういうふうに伝えたらよいでしょうか。あるいは、自分自身どういうふうにその事実を受け止めたらよいでしょうか。 

    子どもというものは汚れがない、ほんとうに無邪気で何も悪いことはない、ということはないでしょう? 皆さまは毎日経験していて、どう思われますか? 私はそういうことはないと思います。大人はもっとそうなのですが。でも、その人が大切であるということです。問題のある人を大切にする、ということにはやっぱり苦労が伴います。場合によっては消耗するわけです。痛みが伴うわけです。その苦労の多いお仕事を皆さまにしていただいていることに対して、心から感謝申し上げたいと思います。 

    長い人生、子どもが大きくなり、いろいろな失敗をしたり、あるいは、人からいろいろなことをされたり、言われたりしたときに、それでも自分は大切だと思っていけるでしょうか。

    そう思い、信じていくための基本的な力を、皆さんは園児に毎日与えてくださっている、伝えてくださっているのだと思います。どうか、そのお仕事を大切になさっていただきたいと思います。

    子どもたちに「一人ひとりが大切なら、まして、自分はほんとうにかけがえのない大切な存在なのだ」という信仰、自信をもって、この日本の社会、非常にすさんでいるともいえるこの世界に、花を咲かせ、水を沸き出させる、泉のような存在となってもらいたい。そのように皆さまにお願いいたしまして、わたしの説教、あいさつとさせていただきます。

    どうぞよろしくお願いいたします。