教区の歴史

教区の歴史

麹町教会堅信式説教

2009年06月14日

2009年6月14日 麹町教会にて

 

今日わたしたちは、堅信式のミサを献げていますが、今日は「キリストの聖体の日」です。 

「皆、これを受けて飲みなさい。これはわたしの血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて 罪のゆるしとなる 新しい永遠の契約の血である。」と司祭はミサの度ごとに唱えています。以前ミサはラテン語で献げられましたが、日本語になってこの聖別の言葉を聞いてみると、かなり驚くような言葉が言われていたことと思います。何年も前のことですが、私が主任司祭をしていた教会のミサに、信者でない方が突然ミサに参加されて、日本語のこの聖別の言葉を聞いて大変驚かれました。特に「新しい契約の血」という言葉が、我々農耕民族には衝撃的な言葉です。聖体と言うと、私たちはまず御体(おんからだ)の方を思いますが、御血(おんち)も聖体なのです。

今日は、せっかくキリストの聖体の日であるので、聖体は御体と御血、両方であるということを思い起こしていただきたいと思います。なぜわたしたちは(カトリック教会だけでありませんが)ミサの時に新しい契約の血、この「血」という言葉を必ず言わなければならないのか。もう少し穏やかな平和な言葉にならないだろうか、と思われるかもしれませんが、これは絶対に言わなければならない言葉です。 

「契約の血」というのは私たちには分かりにくいかもしれません。これを勉強すると聖書全部を勉強することになりますが、今日の「キリストの聖体」の第1朗読、出エジプト記24章では古い契約、モーセを仲介者としてたてられた古い契約の締結式の様子が告げられています。神と契約を結ぶ時、遊牧民は動物の血を流すことによって行いました。この契約の血ということを、私たちの生活の中ではあまり見たり聞いたりしませんが、この出エジプト記の様子を読むと、動物の血、この場合は雄牛の血の半分を祭壇にふりかけて、残りの半分を民の上にふりかける、血の臭いがぷんぷんしているという場面です。そういうように祭壇で、神とイスラエルの民が半分ずつ血を受けることによって、契約が締結されました。こんな凄まじい契約に連なる神の民に、私たちはなっています。

でも、イエス・キリストが来られて、古い契約ではなくて、新しい契約を結ぶことになりました。この新しい契約の血は、イエス・キリストが十字架で流してくださった御血です。そして、ミサの時は血を流すことなく、イエス・キリストの御体と御血が天の御父に献げられるのです。イエスは言われました。「これは、私の体である。」また言われました。「これは人のために流される私の契約の血である。」ですから、モーセが仲介者で結ばれた古い契約の時に流されたのは、動物、雄牛の血でありますが、新しい契約を結ぶ時に流された血は、イエス・キリストの御血にほかなりません。ミサは、この新しい契約の記念です。現実に血が流されるわけではない。イエスの血はただ一度流されたのですが、同じことが今起こっているということを、私たちは教えられ、信じています。 

この新しい契約によって成立した新約の教会は、聖霊を受けて、世界中に派遣され、イエス・キリストの福音を宣べ伝えました。イエス・キリストの十字架による贖いを信じる人々が、わたしたち新約の神の民です。イエス・キリストによる救い、そして復活の出来事を告げ知らせるために、わたしたちは派遣されています。まず使徒にその使命が授けられ、使徒はその使命を後継者である司教・司祭に授けました。ですから教会において、イエス・キリストの使命、福音宣教をする使命は、まず司教・司祭のものです。しかし、イエス・キリストによってつくられた新しい神の民全員が、イエス・キリストの祭司の職にあずかっています。特に、洗礼そして今日授けられる堅信によって、皆さんは教会の祭司職にあずかり、そして福音宣教する使命を受けるのです。 

わたしたち東京教区は東京と千葉県に派遣され、この地においてイエス・キリストの復活の証人となるという使命をいただいています。

東京教区では、3つの課題を優先課題として考えています。1つ目はわたしたち神の民の生涯養成です。司教・司祭を含め、全ての神の民は生涯にわたり、霊的に成長していかなければならないという課題です。

6月19日「イエスのみこころの日」から、「司祭年」が始まります。教区の神学校は、今年東京と福岡の2つの神学校が一つになり、日本カトリック神学院となりました。そして色々な制度の改革があり、来年の新入生の募集の締め切りが半年早くなりました。この6月末日となったのです。月末までに教区は神学生候補者を推薦しなければなりませんが、今のところ誰も名乗りを上げてくれていません。半年早いので無理もないという面もありますが、実は今年も去年も教区の神学校に入った東京教区の神学生はいないのです。ということは3年連続、新入生がいないということになりそうです。司祭になる人が出てこないということは、大変重大な問題であります。

それはそれとして、さらに司祭とともにキリストの体をつくり、そしてこの社会の中で、家庭において、職場において、キリストを証しする信徒の召命も大切にしていただきたいと思います。信者の生涯養成です。

2番目は、この普遍の教会、多民族多国籍の教会としての成長です。先ほど読まれた聖書の聖霊降臨の場面にもありますように、わたしたちの教会はその誕生の時から、民族・文化・言語の差を越える普遍の教会です。東京教区は、特にこの麹町教会は、多国籍多民族の教会の模範として、どんな国から来た人も自分の家として迎えられ、受け入れられ、お互いに助け合う神の民の姿を現していただきたいと思います。

3番目の優先課題、それは「心の問題」ということです。イエス・キリストは、悪霊に憑かれた人々をいやすなど、本当にいやしということをしました。現在、わたしたちはたくさんの人が病気に悩み苦しんでいることを知っていますが、中でも特に心の問題、メンタルな問題で悩み苦しんでいる人が多いことに気がつきます。そして何らかの救い、癒しを求めて教会に見えますが、どういう風に受け入れてよいか、どのようにしたら助けることができるのか、分からない、困ったという思いを持つことも、しばしばあると思います。それでも東京教区は、そしてこの麹町教会では、そういう問題を持っている人々のために何かしたいと考え、そのための努力をしています。今年の9月には心のセミナーという講座を、こちら麹町教会で開いていただくことになりました。9月・10月・11月と3回にわたってお話を聞くことになっています。是非多くの方に参加していただきたいと思います。

2009年のこの東京教区、さまざまな課題を持つ教区でありますが、今日、堅信を受けられる皆様それぞれには少なくともこの3つの課題について深いご理解を持っていただき、そして皆様にできる使徒の働き、福音宣教の働きをして下さるように心からお願いしまして、今日の説教としたいと思います。