教区の歴史

教区の歴史

第18回インターナショナルデー・ミサ説教

2009年04月26日

2009年4月26日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

聖書朗読 エフェソの信徒への手紙(2・14-22)
福音朗読 ヨハネによる福音書(20・11-18)

 

キリストにおいて兄弟姉妹の皆さん、

今日は晴天に恵まれ、多数の皆さんがいろいろな所からこの第18回インターナショナルデーに参加して下さいました。東京大司教として心から歓迎の意を表します。教皇庁大使アルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教様、そして、モリナ参事官も来て下さいました。心から御礼申し上げます。

どうか皆さん、今日は神の慈しみに触れ、復活された主イエスから光と慰め、励ましを受けてください。そしてまた国籍と文化の違いを超えて、主において同じ兄弟姉妹として楽しい一時をお過ごし下さい。 

今、100年に一度の経済不況が全世界を覆い、日本の社会を直撃し、多くの人が苦しんでいます。特に日本では、弱い立場に置かれている移住労働者が解雇されたり、派遣切りされたりして、不安と心配な日々を過ごしています。日本の司教団、社会司教委員会は『いのちを守るための緊急アピール』を出し、いのちを脅かされている人々への支援を呼びかけています。また、わたしたちのカトリック東京国際センター(CTIC)もこの呼びかけを受けて、具体的な対応に努めております。 

いつの時代でも生きるということは大変なことですが、特に現代は厳しい状況にあります。私は「現代の荒れ野」と言っていますが、この東京はまさに現代の荒れ野であり、危険と不安がいっぱいです。そのような状況において教会は現代の荒れ野におけるオアシスでなければならないと思います。今日は、教会がオアシスであることを少しでも体験できる日であって欲しいと願っています。 

今日の福音はマグダラのマリアが復活したイエスと出会う話です。イエスの処刑という出来事に出会った弟子たちはすっかり気が動転し、何が何であるのかわからない混乱と恐怖の状態に陥りました。女性たちもそうです。しかし、マグダラのマリアは深い悲しみに沈みながらも、イエスの遺体へ近づきました。イエスを慕う気持ちの現れでしょうか、彼女の信仰の働きによるのでしょうか、彼女は園の番人に出会います。実はその人が復活されたイエスでした。彼女には、最初はその人がイエスであるとはわからなかったのです。イエスから呼びかけられて、園の番人が実はイエスその人だとわかりました。この体験はマリアを喜びで満たしました。イエスは間もなく姿を消したでしょうか。この体験が彼女を生まれ変わらせ、彼女に大きな力を与え、多くの人々を信仰に導く女性の使徒に変えたのだと思います。 

生きるためには喜びと希望が必要です。そしてわたしたちは喜びと希望を、イエス・キリストへの復活の信仰をとおして与えられています。

「実に、キリストはわたしたちの平和であります。」とパウロが言います。平和は復活のキリストから与えられます。イエスは十字架によって敵意という隔ての壁を取り壊してくださったのです。

人間には不信や不安、そして敵意が存在します。自分から隔たりのある者への思いです。隔たりとは、性の違い、文化・言語の違い、習慣の違い、立場の違い、宗教の違い、貧富の差、健康状態、障がい・・・沢山あります。その違いから抜きがたい不信、不安、敵意が生じることがあります。しかしキリストにおいて外国人でも寄留者でなく、皆神の家族なのです。 

教会は復活されたキリストから光を受けてこの世界を照らすという使命を持っています。どんな小さくても、どんなに弱くても、わたしたちはキリストの復活の証人なのです。お互い、兄弟姉妹の中にキリストの光を見つけましょう。その光でこの世を照らしましょう。

わたしたちが、復活されたキリストから光、力をいただき、互いの違いをもっと尊重しながら共に照らしあい、共に助け合って歩むことが出来ますように、と心から祈りたいと思います。