教区の歴史

教区の歴史

聖香油のミサ説教

2009年04月09日

2009年4月9日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

 

今日は司祭の約束の更新の日です。わたしたち司祭は叙階されるときに司教を介して神と人の前で約束をしました。

その約束とは、

・司教団のよい協力者となること。

・福音を宣べ伝え、信仰を表し、神のことばを宣べ伝えること。

・キリストの秘義、特に感謝の祭儀とゆるしの秘跡を、敬虔に正しく執り行うこと。

・自分に委ねられた民のために神に祈り求めること。

・貧しい人、苦しむ人、助けを必要とするすべての人に、神の慈しみを示すこと。

・教区司教と上長(修道司祭の場合)との絆の中で尊敬をもって彼らに従うこと。

・日々キリストと共に自分自身を人々の救いのために捧げること。

などでありました。

どうかこの約束を忠実に果たすことができますよう、皆さん祈ってください。 

教皇ベネディクト16世は聖ヨハネ・マリア・ビアンネ帰天150周年を記念して、2009年6月19日から2010年6月19日を「司祭年」とすることを宣言し、司祭年のテーマを「キリストと司祭職への忠実」としました。この一年、司祭職の務めへの理解を深め、より忠実にその務めを果たすことができますよう、祈り学びたいと思います。

司祭の務めを忠実に果たすことは容易なことではありません。

第2バチカン公会議は、「教会は神の民」であると教え、信徒にも祭司職があること、信徒使徒職が重要であること、などを教えました。反面、司教と信徒の間にある司祭の務めについては後回しにされた感があります。

1987年、日本のカトリック教会は第一回福音宣教推進全国会議・NICE-1を開催しました。この会議の準備についても、司祭の意見が十分には吸い上げられなかったという不満が残りました。

2007年は、NICE-1開催20周年でした。司教団はふり返りを行い、これからの福音化のために反省を行いました。

わたくしは2009年6月の定例司教総会へ、各教区から1名の司祭を招待して、これからの福音化について司教と共に話し合う機会を持つよう提案しております。 

司祭の高齢化、そして召命の減少が顕著であります。その原因は何でしょうか。行き詰まりを感じている司祭もいると思います。自分のアイデンティティが何であるのか、悩んでいる司祭もいるかもしれません。

キリシタンの迫害の時代は、司祭の存在が非常に貴重であり、昨年列福された4人の司祭も、司祭職を忠実に果たすことに命を賭けたのでした。現代は状況が非常に異なっています。現代において司祭がそのようには尊重されてはいないという気がしています。

今日の福音で、「捕らわれている人に解放を告げ知らせる」という言葉が出てきます。これはまさに教会の福音化の使命です。

ところで、それでは何からの解放でしょうか。さまざまな悪と罪からの解放です。そして自分自身の偏見・こだわり、歪んだ考え・思いからの解放であるとも考えます。司教・司祭も自分の解放を祈り求めなければならないのです。 

東京教区は三つの優先課題を掲げています。優先課題遂行の要は司祭であります。そのためには、自分が司教・司祭であること、自分の立場と任務を正しくふさわしく受け止めていなければなりません。

過度の責任感から来るのかもしれませんが、行き過ぎた権威主義がありえます。司祭が独裁的一方的に事を進める場合があります。しかし、現代はむしろそれは稀であります。逆に、司祭が遠慮からか、必要な時であっても自分の意志を表示しないことがあります。司祭は委ねられた任務を果たすために、自分の意志を明らかにし、責任を明確にしなければならないのです。その際、謙虚、誠実、賢明、勇気が求められます。

わたしたちは叙階により主の霊を受けました。それはわたしたちの使命を遂行させるための光であり力です。

今日はその恵みを今一度新しくしてくださいと祈りましょう。