銚子教会訪問ミサ説教

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    2009年2月15日 年間第6主日

     

    銚子教会の皆さん。

    今日は二つのことをお話します。

    まず2月8日のカテドラルで行われた「年始の集い」の際の大司教の挨拶です。その要約を申し上げます。(以下省略。『2009年を迎えて教区の皆さんへ―「年始の集い」挨拶要旨―』を参照ください) 

    第二は今日の福音と聖書の朗読から何を学ぶかということです。

    マルコによる福音は重い皮膚病の人のいやしです。「重い皮膚病」は従来、癩(らい)と訳され、あるいはハンセン病とも訳されていたのですが、研究が進み、今日ではそれは不適切であるとされ、新共同訳聖書では「重い皮膚病」と訳されています。これは非常に辛い病気です。病者は忌み嫌われ、共同体の中で隔離され、付き合いを拒否されていました。病気自体の苦しみもさることながら、人間としての尊厳を否定され傷つけられるという苦しみを背負わされました。

    イエスは深く憐れんでその人に触れ「清くなれ」と言いました。即座に病気は去ったのでした。病人は祭司のところへ出頭し、社会復帰を遂げます。 

    人が清くあり健やかであるのは神のみ旨です。なぜ人間には病気という問題があるのでしょうか?創世記はアダムとエバが蛇の誘惑に負けて、神との親しい関係を失った次第を語ります。神との平和を失った人間は、人間同士の平和を失い、大地との関係にもひびが入ってしまいました。病気という事実は、人間は神から罪のゆるし、キリストによる罪の贖いに与らなければならない、ということをわたしたちにはっきりと示しています。多くの聖人も病気で苦しみました。そして病気の苦しみをキリストの十字架に合わせて神にささげたのでした。 

    健康な人間は神の栄光の現れです。しかし、病気の人もキリストの贖いの業に参加して神の栄光を現すことができます。イエスは病気の人、汚れた霊に苦しむ人々に触れ、彼らを病気と悪霊から解放したのでした。ご自身多くの人の贖いのために十字架にかかりました。使徒パウロは言っています。

    「神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。」(ロマ3・25)

    今日の朗読でまたパウロは言います。

    「あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい」(1コリ10・31)

    喜びを共にするのも神の栄光なら、悲しみを共にするのも神の栄光です。イエス・キリストは人々の悲しみを担い、十字架をとおして神の栄光を現されました。十字架と復活をとおして神が愛であることを証しされたのです。

    この道を共に歩んでまいりましょう。