福音史家聖ヨハネ布教修道女会第10回総会 聖霊のミサ説教

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    2008年11月3日 小金井教会で

     

    聖書朗読 ローマの信徒への手紙8章 14節-17節
    福音朗読 ヨハネによる福音7章 37節-39節a

     

    福音史家聖ヨハネ布教修道女会の第10期総会の開会にあたり、聖霊のミサを捧げ、総会参加者の上に聖霊の豊かな導きがありますよう祈りましょう。 

    今日まず思い起こしたいのは11月24日に列福されるペトロ岐部と187殉教者のことです。400年前、この方々は非常にはっきりとした信仰の証しを立てました。信仰を捨てるように命じられても拒んで処刑されたのです。 

    今日の午後は千葉県の習志野教会で「原主水列福記念 千葉地区の集い」があり、講演とミサを行ないます。原主水という人は当時浅草に住んでいたハンセン病者の世話をし、江戸の教会の中心人物でした。訴えられて1623年、品川札の辻で火刑に処せられました。

    最後の場面で原主水が群衆に話した言葉が残っています。

    「わたしは異教徒の誤謬を憎んできた。この理由で長年前から火焙りになる今日まで追放でも何でも甘受して参った。私が極端な責め苦にも耐えてきたのは唯一救済に導いてくれるキリシタン宗の真理を証拠だてんがためである。私の指は全部切り取られ足の腱も切られ而も初めから私の行きつく所を知った。私のこの切られた手足が何よりの証拠である。私は贖い主であり、また救い主であらせられるイエズス・キリスト様の御為に苦しみを受けていま命を捨てるのである。イエズス・キリスト様は私には永遠の報酬に在すであろう。」(レオン・パジェス『日本切支丹宗門史』岩波文庫、中巻292-293ページ)

    キリストに従うこと、キリストのために命を捧げるということをはっきりと言っています。

    さらに次のように伝えられています。

    「ヨハネ原主水は、間もなく、息を引き取った。彼は長々あこがれていた国にきっと導いてくれる焔を抱きたいように、指を切られた腕を伸ばした。彼は、地面にうつむけに倒れた。」(レオン・パジェス『日本切支丹宗門史』岩波文庫、中巻295ページ)

    イエス・キリストを信じて生き、死んだ、ひとりの人の生き方、死に方がくっきりと鮮やかに描かれています。

    彼に比べて現代の人々の存在の姿がなんと薄く曖昧で弱いことでしょうか。 

    現代における殉教、証しとは何でしょうか?禁教、迫害はありません。しかし大きな力が人間を圧迫し、生きる力を殺いでいます。現代は孤独・孤立の時代。人は隣人との温かい心のふれあいが持ち難くなっています。

    人は一人では生きられません。人は誰かとのつながりの中で生きるものです。人間関係は難しいです。他の人と安心できるつながりがなければ生きる動機、理由が薄くなり、失ってしまっても不思議ではありません。

    人とのつながりは信仰によって支えられていなければなりません。神を信じ、信仰のうちに兄弟姉妹と共に生きて、信仰者の証しが成り立ちます。 

    修道者は特別な召命を受けています。皆さんの召命は何でしょうか。

    福祉、医療、教育などの人に奉仕する仕事は多く修道会に起源を持っています。現代は行政を始め、他の団体がこの分野で大きな役割を果たしています。教会としてどう生きるかは大きな課題です。

    医療の世界も非常に専門化し、高度化してきています。知識・技術だけで競争するのではとてもカトリックの特色を出せないのではないかと危惧します。結局一番大切なのは医療に従事する人間です。医療に携わる人々の人間性、態度、姿勢ではないでしょうか。 

    毎年2月11日、世界病者の日にカテドラルではミサを捧げています。病者のためだけでなく、医療に携わる方々、病者のご家族のためにも祈りたいと思います。是非ご参加ください。