教区の歴史

教区の歴史

東葛飾宣教協力体合同堅信式説教

2008年09月23日

2008年9月23日 豊四季教会にて

 

聖書朗読 使徒言行録8章14節-17節
福音朗読 ヨハネによる福音14章15節-17節

 

堅信とは、洗礼を受けてキリスト教信者になった人に、さらに聖霊の賜物を授け、キリストの復活の証人となる恵みを与える秘跡であります。堅信を受ける人は聖霊降臨と同じ恵みに与り、神の愛を力強く証しする証人となるのです。 

ご存じのように日本の教会は殉教者の教会です。日本26聖人、205福者を始めとする数多くの殉教者をいただいております。今年の11月24日、ペトロ岐部と187殉教者の列福式が長崎で行なわれます。

殉教とは証(あかし)という意味であり、殉教者とは証人という意味です。殉教者は命をかけて神の愛を証しした人です。

まもなく列福される188人の方について、この機会に是非学んでいただきたいと思います。中央協議会から二冊の冊子が出ています。『ペトロ岐部と187殉教者』と『列福をひかえ、ともに祈る7週間』という冊子です。特に今日堅信を受けられる皆さんは是非この本を読んでください。 

今回の列福は教皇ヨハネ・パウロ2世の励ましを受けて日本の教会がイニシアチブをとって教皇庁にお願いし、教皇様のご裁可をいただいて実現しました。188人のなかで司祭は4人、修道士は1人だけであり、後の183人は皆信徒です。

列福という制度に疑問を感じる人もいるかもしれませんが、この列福は今の日本の教会を励ますために行なわれます。特に信徒の方が新しい息吹を受けて力強く信仰を生き、現代社会に神の愛を現し伝えることができるように、との願いを込めての列福です。 

188人の中で、東京教区で殉教した方はお二人、イエズス会の司祭ペトロ岐部とヨハネ原 主水という方です。お二人について冊子を読むなどしてその生涯から学ぶようお願いします。

188人は今からおよそ400年前の人々です。徳川幕府の政権が確立した1600年代の前半、正確に言うと、1603年から1639年の間に殉教した方々です。

1549年に聖フランシスコ・ザビエルによってもたらされた福音は短い期間に急速に広がり、1600年前半の最盛期には信者数は、今日の登録信者数とほぼ同じ45万人を数えたそうです。当時の人口は2,000万人と言われますので、相対的に言って、今の5倍以上の信者がいたことになります。司祭の数はどうであったかというと、最も多いときで100人くらいでした。今、日本にいる司祭の数は1,500人位です!司祭が少ないのに教会は盛んであり元気でした!信徒がよく養成され、信徒の間のつながりもしっかりしていて、「組」というものがあり、組では一緒によく祈り・学び・宣教し、愛の行ないに励んでおりました。この点を今の教会は学ばなければならないと思います。 

現代と400年前は全く異なる状況にあります。400年前の教会には活気がありました。司祭不在の米沢の教会では信徒が活躍していました。今回列福される米沢の殉教者43人は皆、信徒です。当時の教会の中で信徒の間には強くしっかりしたつながり、きずながあったと報告されています。

今の時代、人のつながりが難しい時代です。教会のなかでも同じ問題があります。人間の存在感が薄い、弱い時代ではないでしょうか。自分はなぜ存在するのかわからない、何のために生きているのかわからない、と感じる人が多いと思います。生きる意欲に乏しい人が多い時代ではないでしょうか。自殺者が10年連続年間30,000人を超えています。生きるのが難しい、そういう時代であり、そのような環境があります。400年前の信者はキリシタン禁制の中、命がけで信仰を守り証ししました。今はそのようなことは全くありません。しかも目に見えない大きな力に圧迫されている、拘束されている、そのような気がします。生きがいを奪う力が働いているように思います。 

わたくしは、東京教区は砂漠の中のオアシス、泉とならなければならないと常々考えております。

そのために三つの優先課題を掲げています。

優先課題1は信徒の養成です。400年前の教会に倣い、信徒がもっと責任を担って宣教し、信仰を伝える教会として成長したいと思います。

優先課題2は外国からきた方の司牧と困難に出合っている外国人のサポートです。教会は本来、聖霊降臨の時から、多国籍、多民族、多文化の教会です。日本の教会も社会も多民族共生の教会、社会として成長していかなければなりません。東京教区にはカトリック東京国際センター(CTIC)があり、この課題に取り組んでいます。しかしこの課題はCTICだけがすればそれでよい、ということではありません。全教会が取り組むべき重要な課題なのです。

第3は「心のケア」。すべての宗教は心のケアを使命としていますが、特に現代、多くの人が心の問題に悩み苦しんでいます。自分の存在に自信が持てないという悩みは深刻です。人は自分が何であるのか、知ろうとします。教会はそのような人々のニーズにこたえるオアシスでなければならないと思います。 

ペトロ岐部と187殉教者の信仰に倣って、今日堅信を受けられる50人の皆さんは、特にこの東京教区の優先課題の実現のために祈り、努力していただきたいと、心からお願い致します。