2008平和旬間「多摩地区の皆様へ」ミサ中の挨拶

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    神との平和、隣人との平和、自然との平和、そして自分との平和へ

     

    2008年8月10日 多摩地区の教会それぞれのミサの中で

     

    カトリック東京教区の多摩地区のカトリック教会の皆様、2008年の平和旬間にあたり皆様へ挨拶を送ります。

    聖体拝領の前に司祭は「主の平和がいつも皆さんとともに」と会衆に呼びかけます。ミサのなかでは何度も「平和」という言葉が使われます。平和とは主・キリストよりの平和であり、復活されたキリストよりの賜物、そして聖霊の結ぶ実り(ガラテヤ5.22)であります。 

    今日(8月10日)の主日の福音のなかでイエスは恐怖にかられた弟子たちに、「安心しなさい。わたしだ。恐れることない」(マタイ14.27)と言われます。復活されたイエスはユダヤ人を恐れて引きこもっていた弟子たちのところへ現れ「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20.21)と言われました。そのときに弟子たちは大きな喜びと平和を体験しました。主の平和、神との平和がわたしたちの信仰の中心にあることをまず確かめたいと思います。主の平和はわたしたちが「安心」な状態にあるために是非とも受けなければならない賜物です。 

    次に、神との平和は隣人との和解と平和に結びつかなければならないということを深く悟らせていただきたいと思います。隣人との和解とはまず互いに受け入れ合いゆるし合い、相手を大切にするということであります。聖パウロは教えています。「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分より優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」(フィリピ2.3-4)

    隣人とは国籍、民族、宗教などの違いを超えてすべての人に当てはめられなければなりません。今年は世界人権宣言公布60年にあたります。すべての人がお互いに相手の人権を認め、尊重することが隣人との平和の基礎であります。また、個人だけでなく地上の民族と国家はそれぞれの主権と文化、伝統などを尊重しなければなりません。 

    そしてさらに、平和を考えるときに忘れてはならないもう一つのことがあります。それは自然との平和です。人間は自然の恵みに与り、自然との適切なつながりとかかわりのなかではじめて平和に生きることができます。ところが、いつのまにか人類はこの真理を軽視するようになりました。今人類は、自然へ感謝するどころか自然環境を壊し生態系を乱し、未来へ暗い影を投げかけています。

    日本を含む9ヶ国のカトリック司教協議会は、先日北海道・洞爺湖で開催されたG8主要先進国サミットに参加した各国首脳へ向けて、共同で声明を発表しました。この声明は、深刻な食糧危機とHIVエイズなどの蔓延による社会の荒廃を危惧するとともに、各国首脳が地球規模の貧困を削減し、気候変動に対処するために責任をもって行動するように切望しています(カトリック中央協議会ホームページ参照)。 

    キリスト者は日々、神との平和、隣人との平和、自然との平和を祈り求めて歩むべきです。そうすることによりわたしたちは真の自分を見出し、自分自身との平和に到達できると信じます。