関町教会堅信式・新信徒会館祝別式ミサ説教

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    2008年8月3日 年間第18主日

     

     

    関町教会の皆様、皆様が長い間待ち望んできた新しい信徒会館が完成し、本日、祝別式が行われます。心からお祝い申し上げます。ご存じのように教皇ベネディクト16世は「パウロ年」を宣言されました。今年の6月28日より来年の6月29日までパウロの年であります。教皇様はこの1年、パウロの教えを学び、パウロの生き方に学ぶよう勧めておられます。 

    本日の第二朗読は先週、先々週に引き続き使徒パウロのローマの教会への手紙8章です。パウロはローマの教会への手紙でイエス・キリストへの信仰を説明し、人は信仰によって義とされると教え、8章の終わりの部分で神の愛、キリストの愛への深い、強い信仰を告白します。この信仰告白は本当にすごいと思います。

    パウロは言います。

    「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(ローマ8.37-39)

    神の愛を信じる強く深い信仰の告白です。何ものにも負けない強い信仰です。パウロはこの信仰を証しし、最後はローマ近郊で斬首の刑を受けて殉教しました。彼は神の愛の証人です。殉教者とは証人、神の愛の信仰の証人のことです。 

    わたしたち日本の教会は殉教者の教会です。今年の11月24日、ペトロ岐部と187人の殉教者の列福式が長崎で行われます。188人は17世紀の前半、400年前に殉教しました。わたしたちとの間には400年の歳月の隔たりがあります。今とは状況がかなり、いやまったく違います。現代のわたしたちはこの殉教者から何を学ぶことができるのでしょうか。彼らは、「どんなお言いつけにも従いますが、信仰を捨てるようにとの命令には従えません。ほかの事はいかようにもいたしますが信仰に反すること、天主様に背くことはできません」と言って命を捧げたのでした。神の愛を信じ、神様を何よりも大切にし、神様のことを第一にして生きた人々です。 

    今は生きるのに難しい時代、ストレスの多い時代です。人々は孤立し、心が孤独です。今のような時代、神の愛の証人となるということは何を意味しているでしょうか。わたしたちは神様を何よりも第一にして生きる、そのような生き方をしているでしょうか?そのような生き方とはどのようなものでしょうか?」

    今日の福音は五つのパンと二匹の魚の奇跡です。わたしは司教の紋章にこの話を使わせていただいております。イエスの周りに集まった人々は病気の人々、貧しい人々、打ちひしがれた人々...これという頼りになるものを持たない、よるべのない人々でした。男性だけで五千人(子ども、女性は数に入っていません!)。皆が空腹になっても食べるものは僅かに五つのパンと二匹の魚だけ。しかし、この乏しさを分かち合っていくと奇跡が起こり、皆が(一万人くらい?)食べても余るくらいになったのです。 

    実に慰めに満ちた話です。イエスとそれを取り巻く人々の群れ、それはわたしたち東京教区の姿を表していませんか?東京と首都圏はまさに荒れ野です。その荒れ野のなかでわたしたち教会は小さな、貧しい群れに過ぎません。でも、わたしたちの教会は砂漠の泉、オアシスになることができます。わたしたちが受けている神の愛、それを分かち合うならば、それはどんどん増えていきます。小さな行いでも真心を込めて、神の愛として捧げるならば、それは多くの人に広まっていきます。今日のミサの聖体拝領、まさに神の愛の分かち合いを表しています。聖体拝領で表される愛の分かち合いを日々行うならば、砂漠の東京にオアシスを増やすことになるでしょう。 

    2008年、列福式の行われる年、堅信を受けられる皆様のために冊子『列福をひかえ、ともに祈る7週間』を持参しました。これを読んで黙想してください。現代において神の愛の証人となる、これが皆さんの使命です。殉教者の取次ぎによって祈りましょう。わたしたちが神の愛の証人となれますように!