大森教会堅信式と初聖体式ミサ説教

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    2008年7月13日 大森教会にて

     

     

    大森教会の皆さま、ベネディクト16世教皇様は「パウロの年」「パウロ年」ということを宣言なさいました。今年が使徒パウロ生誕二千年にあたるからです。「パウロ年」は2008年6月28日に始まり、来年の2009年6月29日までの一年間です。この一年間パウロの教えを良く学ぶよう教皇様はわたしたちに呼びかけています。パウロの教えを学ぶ一つの道は主日のミサの朗読に焦点を当てることです。多くの場合、第二朗読はパウロの手紙から取られています。 

    今日の第二朗読はローマの信徒への手紙8章です。この中で非常に重要な教えが述べられています。ここでパウロは被造物の解放、隷属からの解放、贖(あがな)い、救いということを言っています。普通、人間の贖い、救いについて述べるわけです。被造物の救いというのはわかりにくいかもしれません。被造物とは人間以外のすべての造られたもの、つまり宇宙、世界、自然などを指していると思います。もちろん、人間も被造物の一部です。しかし、人間は神の創造したもののなかで神に近いもの、神の似姿です。わたしたち人間はもちろん、贖われ救われなければならない、それは当然です。しかし、実はこの世界も、自然も贖われ救われなければならないのです。皆さん、洞爺湖サミットで環境問題が取り上げられましたね。この世界は神のお望みのような状態ではないのです。自然もいわば隷属の状態、悪の支配下に置かれている部分があります。神はこの世界を贖い、新たに造り直してくださいます。世界は「新しい天と新しい地」(ヨハネの黙示録21.1)として再創造されるのです。それは神の霊、聖霊の働きです。 

    今日のパウロのことばを深く味わいましょう。

    「 つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。 被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。 被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。 わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。」(ローマの信徒への手紙8.21-24)パウロの年にあたりこの信仰と希望を深めてまいりましょう。 

    今日の第一朗読はイザヤの預言55章です。

    主なる神は言われます。

    「わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。」(イザヤ55.11)

    イザヤが言うように神は必ず「新しい天と新しい地」を完成してくださるのです。 

    今日の福音は種蒔きのたとえです。同じ神のことばを受けても、受ける人の心の状態によってみことばの結ぶ実りが違ってきます。神は恵みを強制されません。自由に信じて受け入れることをお望みなのです。神はわたしたちの心に語りかけ呼びかけて、わたしたちの信仰を促しています。わたしたちに応答を促し、わたしたちを神のみ業の協力者となさいます。そのために御子が十字架に架けられることさえおゆるしになったのです。 

    殉教者とはこの信仰を証しした証人、命をかけてこの信仰を生き抜いた人たちです。2008年11月24日、長崎でペトロ岐部と187殉教者の列福式があります。日本の教会は殉教者の教会です。今日、堅信の秘跡を受けられる皆さんと初聖体を受けられる皆さん、この殉教者の信仰に倣い、皆さんも立派な信仰の証人となってくださるようお願い致します。