教区の歴史

教区の歴史

聖職者の集い(聖ペトロ聖パウロ使徒の祝い)ミサ説教

2008年06月30日

2008年6月30日11:00~ 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

 

2008年6月の聖職者の集い(聖ペトロ聖パウロ使徒の祝い)にあたり、ご挨拶申し上げます。昨日は聖ペトロ聖パウロの祭日でありました。白柳誠一枢機卿様はじめペトロ、パウロの霊名の司教様、神父様方に心からお祝いを申し上げます。わたくしもペトロの洗礼名をいただいております。日々、皆様にはお祈りしていただき、また心配していただいております。この機会をお借りして皆様の支え、助けに厚く御礼申し上げます。 

本日は司祭叙階のダイヤモンド祝・金祝・銀祝の神父様方をお祝いする日でもあります。司祭叙階のダイヤモンド祝・金祝・銀祝を迎えられた神父様方、おめでとうございます。皆様の長い年月にわたる奉仕に心から感謝いたします。 

2008年6月8日、パリ外国宣教会創立350周年を祝うミサに出席するためにフランスを訪れました。パリのカテドラル、ノートル・ダム大聖堂でAndre VINGT TROIS(アンドレ・ヴァン・トロア)パリ大司教・枢機卿の主司式のミサが捧げられ、福音宣教省長官Ivan DIAS(イヴァン・ディアス)枢機卿や他の枢機卿、多数の司教、司祭、信徒、修道者が参加し盛況でした。 

6月10日には第二代東京大司教ピエール・ムガブル師の出身の聖ニコラオ教会を訪問し、バイヨン教区のモレール司教、聖ニコラオ教会主任司祭カミノ師をはじめ多数の方々の歓迎を受け感激いたしました。ムガブル大司教は1910年、故郷のバスク地方のゲタリで帰天、60歳でした。お墓は聖ニコラオ教会内にあります。当日はバイヨン教区の司教と一緒に午後6時より追悼ミサを捧げ、お参りをいたしました。わたくしは念願のムガブル大司教のお墓参りを果たせた感慨と現在の日本の教会の状況、宣教の必要などについて話しました。パリ外国宣教会日本管区長シェガレ師が通訳してくださいました。モレール司教はゲタリと日本の教会のつながりを強く感じるなど訪問への謝辞を述べられました。 

2008年6月28日、パウロ年を迎えました。今日はペトロ・パウロのミサを捧げております。パウロの年ですので使徒パウロの方へ思いを寄せたいと思います。パウロはキリスト教徒を迫害する熱心なユダヤ教徒でした。その彼が突然ひっくり返され、イエスの捕虜にされたのでした。パウロはどんな人だったのでしょうか?パウロは非常に強い人、行動力のある人、博識で雄弁な人だったと思います。でも、そうでもないという見方もあります。「わたしのことを、『手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない』という者たちがいる」(二コリント10.10)というパウロ自身の言葉があります。また、彼は人間としての弱さをもっていたらしく、それを「とげ」と言っています(同12.7)。そのとげとは何であったのか諸説があるようですが、彼はそのとげを取り除いてくださるよう三度主に祈ります。しかし、主の返事は次のようなことばでした。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(同12.9)。そこで彼は言います。「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(同12.9-10)。 

すごい信仰だと感嘆します。このパウロの信仰に倣いたいと心から願い、この信仰をお与えください、強めてくださいと祈り求めましょう。