聖心会来日100周年記念ミサ説教

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    2008年1月13日 聖心女子大学聖堂にて

     

    第一朗読 ホセアの預言11.1,3-4,8-9
    第二朗読 エフェソの信徒への手紙3.8-12,14-19
    福音朗読 ヨハネ19.31-37 

     

    「争いの絶えないこの世界で、貧困に喘ぐ人々の叫びの中で、病に苦しむ人々の中で、見向きもされない人々の中で、主よ、あなたは私に何をお望みですか。」

    これはシスター方からいただいた「イエスの聖心のうちに一つの心一つの魂」というタイトルの聖心会の冊子のなかにある言葉です。聖心会会員の心からの祈りでしょう。この詞は強く響きます。この世界の中で、悲惨な現実の中で、主よ、あなたは何をお望みですか?これはわたしの祈りであり、皆さんの祈りであり、すべての人の祈りであるはずです。 

    主なる神はアブラハムに現れ、モーセをとおし、預言者によって語られ、さらに御独り子イエス・キリストを遣わされて、ご自身を完全に現し伝え、啓示されました。わたしたちは旧約聖書と新約聖書によって主なる神がどのようなお方であるのかを学ぶことができます。 

    今日の聖心会来日100周年記念ミサのために選ばれた旧約聖書はホセアの預言です。ホセアをとおして神は言われました。

    「まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した」(11.1)。「わたしは人間の綱、愛のきずなで彼らを導き、彼らの顎から軛を取り去り、身をかがめて食べさせた」と主は言われます。「人間の綱」とはおそらく生身の人間の愛、憐れみ、慈しみ、優しさなどを表すことばだと思います。しかし、この神の思いは背信と裏切りをもって報われたのです。イスラエルは偶像を拝み、バール神に犠牲を捧げます。イスラエルはたびたび神の掟に反し、神の御心に反することを繰り返します。主なる神は激しい怒りをもってイスラエルに臨みます。そして北王国イスラエルはやがてアッシリアによって滅ぼされてしまいます。ここで神はご自分の心を、あたかも人間の心のように、葛藤する心として表現します。

    「ああ、エフライムよ、お前を見捨てることができようか。・・・わたしは激しく心を動かされ、憐れみに胸を焼かれる。わたしは、もはや怒りに燃えることなく、エフライムを再び滅ぼすことをしない」(11.8-9)。

    それはなぜかといえば、

    「わたしは神であり、人間ではない。お前たちのうちにあって聖なる者。怒りをもって臨みはしない」(11.9)からなのです。

    あたかも神が自問自答し、自分に言い聞かせているかのようです。人間なら怒りに任せて滅ぼしてしまうが、神はそうではない。神は救う神であり、神の愛はゆるす愛です。 

    教皇ベネディクト16世の最初の回勅は『神は愛』(Deus caritas est)です。教皇はこのことをホセアの預言11章を引用して説明します。神の人間に対する愛はエロース、求める愛であると共にアガペー、ゆるす愛です。このことを教皇は次のような不思議な表現で説明します。

    「この愛があまりに大きいために、神は自らに逆らい、神の愛は神の義に逆らいます。キリスト信者はここにすでに十字架の神秘をぼんやりとした仕方で前もって示されているのを見出すことができます。神の人間に対する愛があまりに大きいために、神は人間になり、死に至るまで人間に従う者となりました。こうして神は正義と愛を和解させたのです」(10項)。 

    兵士によって槍で刺し貫かれたイエス・キリストの聖心はこの神の愛の完全な啓示であり実現であります。聖心会創立者聖マグダレナ・ソフィア・バラは聖心によって現された神の愛を深く黙想し、悟り、神の愛を多くの人に伝え、また実行した方であります。聖心会来日100周年を祝うわたしたちは、今日、聖パウロのことばによって祈りたいと思います。

    わたしたちが「すべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれだけであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされますように。」

    アーメン。