教区の歴史

教区の歴史

2007年 司祭叙階式説教

2007年03月04日

2007年3月4日 14:00~ 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

 

受階者
フランシスコ・ザビエル 天本 昭好(東京教区)
パウロ 高木 健次(東京教区)
ヨゼフ 門間 直輝(東京教区)
アウグスチノ・レオ 稲毛 利行(聖ドミニコ修道会)

 

朗読箇所
第1朗読:イザヤの預言53章10-11節
第2朗読:ヘブライ人への手紙4章14節―18節
福音朗読:マルコによる福音10章42節―46節

 

 

司教の助け手

「主なる神よ、使徒から受け継いだ司教の務めを果たす力の足りないわたしを顧み、かつてモーセとアロンになさったように、今、わたしにもこの人たちを必要な助け手としてお与えください。」

きょう司教が唱える叙階の祈りです。心からの真摯な祈りです。この祈りの言葉は司祭と司教の関係をよく示していると思います。司祭に叙階される皆さん、皆さんは司教の助け手、必要な助け手、なくてはならない助け手になるためにいま司祭に叙階されようとしています。このことを深く心に刻んでください。司教自身、自分の至らなさ、弱さをよく知っています。そして司祭の皆さんの助けを必要としていることを強く自覚しているのです。

 

謙遜な神の僕

「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです」(ヘブライ4.15)。大祭司イエス・キリストは罪を除いてわたしたちと同じ人間性を受け、まことの人間となり、人間として生涯を送られました。ですから人間の弱さに共感できる方でした。司祭も人間性という弱い土の器に司祭職という聖なる務め、神の神秘の分配者となるという使命を受けます。司祭になっても人間性の弱さがなくなるわけではありません。しかし、だからこそ司祭は心から人の悲しみ痛みを知り共感できる人であるはずです。司祭は人の悲しみや痛みに心を開きそれを共に担う、という姿勢をいつも持っていなければなりません。

また司祭は「仕えられるためではなく仕えるために」(マルコ10.43)来た主キリストに倣って生きるものです。司祭の務めとは言うまでもないことですが、人を助け生かすことであり、自分思いを遂げるとか押し付けるとか、自分の満足を求める、ということではありません。そのことは十分にご承知のことと思います。司祭には忍耐強く、謙虚で、自分を虚しくするキリストの生き方がいつも求められます。それは神の愛、アガペーの実践です。これまで何度このことを聞いたでしょう。いまあなたがたはこの生き方を司祭として実践するときを迎えたのです。人間の弱さを思うとき、愛の実践は決してやさしいことではないことをわたしは知っています。皆さん、勇気を出してください、そのために互いによく祈りましょう。多くの人が喜んであなたがたのため祈り支えとなってくださいます。

 

信仰の証人

現代は信じることが難しい時代であるとも言われます。とくにこの日本の風土と状況において信仰を貫き証しすることは容易ではありません。しかし、日本の教会は日本26聖人をはじめとする優れた信仰の証人、殉教者をいただいています。今年はペトロ岐部と187殉教者の列福が期待されています。皆さんはその殉教者の国の司祭になるのです。どうか、力強く信仰を証しする人、信仰の光をもって日本の社会を照らす人となってください。信仰とは命がけの生き方です。すべてのものが相対化され価値観が崩れてしまったこの時代、揺るぎのなき価値と生き方を示すこと、それが信仰です。皆さんはその信仰を生きる教会の奉仕者、そして教師として立てられるのです。

教皇ベネディクト16世は『神は愛』という回勅を出されました。神が存在すること、そして神は愛であること、さらに、愛とは何であるか、ということを言葉と行いを通して示すこと、それがわたしたち教会の使命であります。この信仰を養い強めるためには日々の典礼と祈り、聖書の黙想、学び、分かち合いが必要です。司祭は自分自身まずよき祈りの人でなければなりません。

 

東京カテドラル聖マリア大聖堂

いま叙階式が行われているこの東京カテドラル聖マリア大聖堂は大改修中です。建物が造りなおされてもわたしたち自身、神の民が心の底から新たに生まれ変わるのでなければどんな意味があるでしょうか。2007年は東京教区の大改修 — 回心と祈り、刷新の年とならなければなりません。このカテドラルで行われる典礼が神の愛と光を表し、神のいやしと励ましを伝えるものとなりますように、とわたしたちは日々祈っています。今日こそ特にその日です!神の愛と光、いやしと励ましを表し伝えるということこそわたしたち東京教区の使命であり、そのための奉仕者が司教・司祭です。わたしたち一人ひとり、信仰を証しする勇気を与えてくださるよう、日本の殉教者の取次ぎによって祈りましょう。