教区の歴史

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聖職者の集い(聖ペトロ・聖パウロ使徒の祝い)ミサ説教

2006年06月26日

2006年6月26日、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

 

本日、ペトロ・パウロ、二人の使徒を記念することは、わたしたち教会にとって誠に意義深く、また司教・司祭である者にとって大きな慰めであると感じます。皆さまよくご存じのように、ペトロは三度もイエスを否んだ人であり、パウロはキリスト教徒を迫害した者です。その二人がわたしたちの教会の礎となりました。実に感慨深い神の導きであります。 

イエスが12人の使徒の頭に選ばれたペトロはどんな性格の人だったのでしょうか。聖書を読むと彼の人物像が浮かびあがってきます。彼は大変衝動的ですが、同時に率直で正直な人でした。怖がりで臆病な面もありましたが、自分の過ちを心から悔いる誠実な人でありました。彼はもともと敬虔なユダヤ教徒です。主なる神の力強い支配と働きを信じていました。彼の信じる神はいわば「勧善懲悪の神」、すなわち悪を懲らしめ善を勧め、悪人を罰し神の正義をすぐにでもこの地上に力強く実現してくださる、そのような神ではなかったかと思います。彼は、神が「力ずくで、すぐにでもご自身の意志を実現なさる」と強く期待していました。しかし、イエスの十字架はこのようなペトロの期待を完全に打ち砕きました。彼はこれまでの神理解、神様とはどんなお方か、という考えでは前進できないという窮地に追い込まれたのです。 

その彼を救ったのは復活された主イエスとの出会いです。イエスの復活と聖霊降臨を体験したペトロはイエスによる新しい神理解に達しました。それは復活されたイエスから受けた赦しと平安によって与えられた「神の愛」の理解ではないでしょうか。赦し、慈しみ、忍耐、希望という神の恵みを深く、強く知ることができたのだと思います。 

「主は恵みに富み、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに満ちておられます。」 

これは詩編145のことばです。わたしたちも時々困難に出合うとき、神がすぐにでも力を発揮してこの世界を変革しくださらないのかなどと期待し、自分の思いどおりに事が運ばないと失望あるいは苛立ちを覚えてしまいます。種々の困難に出合うとき、神は忍耐の神であることをもっと悟らせてください。自分の思いや計画にではなく、主イエスの思いに、主イエスの歩んだ道に従う謙遜と勇気をわたしたちにお与えください、と切に祈りたいと思います。 

今日は異邦人の使徒となったパウロを記念する日でもあります。彼も復活したキリストに出会い、人生が180度転換させられた人であります。パウロは本日の第2朗読、テモテへの手紙のなかで、死を目前にして義の栄冠を受ける希望を述べています。この義の栄冠は、パウロだけに授けられるものではなく、「主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださるのです」(2テモテ4:8)。このことばに励まされて希望のうちに歩んでまいりましょう。復活されたキリストがわたしたち教会と共におられ、わたしたちを導いてくださいます。この信仰、希望に生かされ、キリストの光を見つめながら共に歩んでまいりましょう。アーメン。 

説教を結ぶにあたり、この機会をお借りして二つのことをお知らせし、ご理解ご協力をお願いします。

 

  1. カテドラル大聖堂外装改修工事についてです。先月の司祭の月集で説明しましたが、近々正式に改修工事を始める決定をする予定です。 
  2. 今年の平和旬間についてです。多くの人にお伝えいただき参加してくださるよう呼びかけてください。本日配布のポスター、チラシなどをご覧ください。