教区の歴史

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聖香油のミサ説教

2006年04月13日

2006年4月13日、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

 

「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。・・・」 

毎年聖香油のミサで読まれる福音です。今年も、本日、ご一緒に聖香油のミサを捧げ、三種類の油の、すなわち、病者の油、洗礼志願者の油、そして聖香油を祝福いたします。皆さんご存じのように、キリスト者とは「油そがれた者」という意味であります。わたしたちは洗礼・堅信の秘跡を受けるときに聖香油の塗油を受けました。また司祭の皆さんは叙階の秘跡のときに聖香油の塗油を受けました。本日は司祭職の制定の記念の日でもあり、叙階の約束の更新を行う日です。叙階式のときに司教が言います。「あなた方は、神を賛美し信じる民を導くために、キリストの秘儀、とくに感謝の祭儀とゆるしの秘跡を、教会の伝統に従って敬虔に正しく執り行いますか」。わたしたちは「はい、行ないます」と答えました。ミサを司式し、ゆるしの秘跡を授けることは司祭の最も大切な務めであり、司祭固有の務め、司祭だけが行なう、司祭にしかできない奉仕です。 

わたしたち司祭は先日、月例集会で、「ゆるしの秘跡」について話し合いました。司祭はゆるしの秘跡を執行するときに、自分が司祭である喜びを感じる、と発言された司祭が何人もおられます。他方、罪のゆるしの喜びを伝えることに困難を感じている司祭もいるようです。また、秘跡を受ける者も、この秘跡に近づきやすいとはかならずしも思っていないようです。ゆるしの秘跡の豊かな恵みが多くの人に伝わるためにわたしたちは何かをしなければならないと思います。これはわたしたちの大きな課題です。 

使徒ヨハネは繰り返し「神は愛です」と言っています。この言葉はそのまま教皇ベネディクト16世の最初の回勅のタイトルとなっています。今わたくしは「愛」という言葉を「大切」という言葉で言い換えてみます。神様はわたしたち一人ひとりを大切に思ってくださいます。「あなたはかけがえのない大切な人です」といってくださいます。「欠点、問題があってもあなたが大切です、あなたがいることがうれしい」と思ってくださる・・・。神は、罪を犯して、裏切った者でも、その人をゆるし受け入れてくださるのだ・・・そういうメッセージではないかと思います。ペトロをはじめとする使徒たちは復活なさったイエスに出会って、キリストのゆるしと神の愛を深く悟り、ゆるしを受けた者として神の憐れみ、ゆるし、愛を伝える者となりました。このようにしてわたしたちの教会が誕生したのです。 

神は罪人を愛し罪をゆるしてくださいます。と言っても、罪を見逃すとか、過ちを認める、悪を善であるとする、などということではありません。罪は罪です。しかし罪を犯すわたしたちを愛し、罪あるまま受け入れてくださり、救いへの道へ招いてくださるのです。主イエスの生涯、特に受難、十字架が、すべての人を救いへと招いておられ神の愛を明らかにしています。棘のある人間を包むとき、その棘は包む者を刺し傷つけます。十字架はわたしたちの棘、罪を担ってくださったイエスの姿です。この聖なる3日間の典礼をとおし、父である神の深い愛、イエス・キリストの過ぎ越し、そして聖霊の派遣、という三位一体の神の神秘への信仰を深めることができますよう、祈りましょう。