教区の歴史

教区の歴史

上野教会50周年記念ミサ

2004年04月25日

2004年4月25日、上野教会にて 

 

今日、復活節第3主日の福音はヨハネの21章です。使徒ヨハネは復活されたイエスがペトロと他の弟子たちにお現れになった次第を告げています。復活したイエスがペトロに向かって三度も「わたしを愛しているか」と尋ねます。これは感動的な場面です。ペトロはイエスのご受難のとき、最後までイエスに従うこと、いのちすら捨てる、と大見得をきったのに、もろくもイエスを裏切ってしまいました。鶏がなく前に三度も、イエスを知らないと言ってしまったのです。三度目は「呪いの言葉さえ口にしながら『そんな人は知らない』と誓い始めた」とマタイの福音書は告げているのです。(マタイ26・74) 明らかにイエスが三度も同じ質問をペトロにしたのはこの三度の裏切りを赦し癒すためでした。 

ところで、この21章では「愛する」の原文のギリシャ語は2種類あって、アガパオーとフィローという言葉が使われています。イエスは、一回目と二回目の質問にはアガパオーを使っていますが、三回目はフィローを使っています。ペトロの答えは三回ともフィローでした。アガパオーは神の愛を意味しますが、フィローは人間的な友情というニュアンスが含まれています。ペトロの三度目の答えには悲しみが込められています。このあたりに、わたくしは、人間イエスとペトロの間の人間としての愛情の交流のようなものを感じます。

ペトロにとってこの体験、復活のイエスとの出会いという体験は非常に重要でした。復活のイエスに会ったペトロは聖霊によって強められ、勇敢に復活したイエスをのべ伝える使徒に変貌したのです。本日の第一朗読で、ペトロは最高法院において、決然として「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」と言い切っています。 

わたしたちの教会はこの使徒たちの復活のイエスとの出会いの体験という土台の上に建てられているのです。ペトロや他の使徒たちもわたしたちと同じ弱く卑怯な人間でした。この事実はわたしたちにとってある意味で慰めであり励ましになります。聖パウロも、神の恵みは人間の弱さの中に働く、と言っています(コリントの信徒への手紙二 12.9)。

ペトロもパウロも共に殉教しました。彼らの殉教の原動力は復活のイエスとの出会いでありました。復活されたイエスと出会い、罪の赦しをうけ、イエスの愛に包まれ励まされて、新しい人として生まれ変わることができたのです。わたしたちの教会はこの使徒たちの体験と信仰を受け継いでいます。基本的には同じ「死からいのちへの過ぎ越し」という信仰をいただいたのです。復活のイエス・キリストとの出会いがわたしたちにとっても信仰の原点であります。 

きょうわたしたちは上野教会設立50周を祝っています。

この50年の間賜った数々の恵みを神様に感謝いたしましょう。

上野教会はパリ外国宣教会の神父様がたと、ベタニヤ修道女会のシスターがたのおかげを蒙っています。わたくしはとくにマルセル・ルドルス神父様を思い起こします。神様はこの人々を復活の証人としてわたしたちのところへ派遣してくださいました。今度はわたしたちが自分たちで復活の証人となる番です。 

2002年の復活祭から上野教会はイエズス会中国センターと共に歩む教会となりました。イエスの時代もそうでしたが今の日本の社会の現実にも厳しいものがあります。本当に生きるということは大変なことであり、人生と苦悩は切り離せません。しかし、わたしたちはキリストの復活を信じ、復活の喜びを分かち合っています。ここに集うわたしたちは、日々の労苦をご聖体の犠牲にあわせて父である神様に奉献し、キリストの復活のいのちで養われ励まされて、神の国の完成を待ち望みながら希望をもって歩んでいくのです。わたくしは、上野教会が復活のキリストのいのちを伝え現わす共同体としてこれからもますます発展し、多くの人々、とくに困難な状況におかれている人々にとっての慰め、希望、励ましの共同体としてますます成長するように心から願いそのように祈りたいと思います。