教区の歴史

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復活徹夜祭のミサ

2004年04月10日

2004年4月10日、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

復活徹夜祭はカトリック教会の最も豊かな美しい典礼であります。この典礼の中で壮大なる神の救いの歴史が展開します。第2部、ことばの祭儀の第1朗読「創世記」1章では神の創造の次第が語られます。神は創造の頂点としてわたしたち人間を造られました。人間は神の似姿として神の栄光を表す存在でした。ところが人は神に背いて神との親しさを失います。そのときから世界に罪と闇が忍び込みます。神は一人子イエスを遣わして世界と人間をあがない救おうとされました。この救いの歴史の次第が本日の典礼全体で美しく豊に展開しています。 

復活徹夜祭の第一部は光の祭儀です。まず復活のろうそくに火がともされます。これはイエスが悪と罪、死と闇に打ち勝たれて復活されたことを示しています。わたしたちはそれぞれ手に小さなろうそくをもって、復活のろうそくから火を移してもらいます。これはわたしたちが復活の信仰をいただき、キリストの光を世に輝かせるということを象徴的に表現しています。わたしたち信者はみな、キリストの復活の証人となるよう招かれています。わたしたちは光の源、光源ではありませんので自分から輝くことはできませんが、キリストから光をいただき、その光によって周りを照らすことができます。 

今日は洗礼式が行われます。このなかで受洗者が復活のろうそくから火をうつしていただく場面があります。これがまさにキリストの復活の証人となることを表しています。

実際,洗礼はキリストの復活に与ることです。キリストは十字架の死を過ぎ越して復活の栄光をお受けになりました。洗礼を受けるということはキリストと共に死にキリストと共に新しいいのちに入ることを意味しています。 

聖パウロは本日の朗読で次のように述べています。「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しいいのちに生きるためです」。

既に旧約の預言者エゼキエルは新しいいのちを受けることについて次のように言っています。「わたしはお前たちに新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる」。洗礼を受けるということは神の霊を受け、新しい人になり、神の霊に導かれて歩む人になる、ということです。 

ところで洗礼は生涯一度だけで二度と繰り返されることはありません。しかし、洗礼の意味は生涯更新されなければなりません。死から復活へ、新しいいのちへの神秘は生涯かかって歩むべきキリスト者の道です。決定的 に復活の世界に入るためには絶えず古い自分に死んで新しい自分に生まれ変わらなければならないのです。それは生涯の課題です。人はキリストの霊を受け霊の導きに従い生涯成長するものです。わたくしは今年の復活徹夜祭から、次の課題を確認したと思います。「日々、新に生まれ日々復活の証人となる」。聖霊がいつもわたしたちを照らし力づけてくださるよう、切に祈りましょう。