イエズス会助祭叙階式

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    2003年3月21日、イエズス会神学院にて

     

    受階者
    アウグスチヌス・サリ・タラッペル
    パウロ 松井 紀尚

     

    朗読箇所
    ローマ人への手紙10:10-15
    ヨハネの福音10:9-18

     

    皆さん、いまわたしたちの兄弟、アウグスチヌス・サリ・タラッペルさんとパウロ松井紀尚さんが助祭という奉仕の務めを受けようとしておられます。

    助祭は聖霊の賜物に強められ、神の言葉と祭壇に奉仕し、愛の技に励み、すべての人に仕えて、司教とその司祭団を助けます。福音を告げ知らせ、ささげものを準備し、主のおん体とおん血を信者に授けます。司教から命じられたことにしたがって、信者にも信者でない人にもよい勧めを与え、聖なる教えを伝え、祈りを司式し、洗礼を授け、結婚に立会って祝福を与え、死に臨む人にキリストの聖なる糧を授け、葬儀を司式します。

    お二人は司教の下で司祭とともにこの奉仕の務めを果たすことになります。司教、司祭、助祭はそれぞれ具体的な役割は異なりますがともに公の役務者として、牧者の役割を果たすのです。

    助祭叙階式にあたってわたしたちは牧者の在るべき姿を今一度確かめなければなりません。

    わたしたち牧者がいつも念頭に置くべき牧者のモデルはいうまでもなく主イエス・キリストであります。あなたがたがこれより牧者として働くとき、どのように行動したらよいかを示してくださるのはよき牧者である主イエスです。

    今日の福音を思い出してましょう。

    主は言われます。「わたしはよい牧者である」。

    よい牧者は自分の羊を守り導く人です。ときには自分の羊のために命をささげる用意のある人です。これは実に大変なことを言っています。

    人を守り助けることができるためにはそれなりの準備、それなりの司式と実力が必要です。あなた方は今日までその準備をし、研修と修行を積んできたはずです。人を守り導き癒すのが牧者であって、自分を守るが羊は見捨ててしまうならばとんでもない牧者であり、もはや牧者とはいえません。まして人を傷つけてしまうことなどあってはならないことです。とはいえ、わたしたちは生涯自分の人間としての弱さと問題を担っていかなければなりません。こころならずも人を傷つけてしまうことから完全に解放されることは困難です。真実の自分の姿をしっかり見つめ、謙遜と信頼をもって歩んで行かなければなりません。

    アウグスチヌス・サリ・タラッペルさんとパウロ松井紀尚さん、あなた方がなすべきことは多いのです。

    今人類は大きな危機に直面しています。恐怖と不安が多くの人を襲っています。これはあってはならないことです。主イエスは平和のために十字架上でご自分の命をささげられました。主の平和はまだ、多くに人々に受け入れられている、とはいえません。実にわたしたちは平和のために働くよう召されています。

    いまわたくしは「日本国憲法」の前文の文章を思い出しています。

    「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。

    今の世界がもっとも必要なことがこの文言に含まれているように思います。

    主の霊があなた方を守り導き強め、平和の使徒として良き働きを遂げさせてくださるよう切に祈ります。