教区の歴史

教区の歴史

教会委員会連合会での挨拶

2003年01月12日

2003年1月12日、関口会館、ケルンホール

 

皆さん新年おめでとうございます。

旧年中賜りましたご好意、ご協力に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。本年も多くの課題をもっております。どうか本年も皆様のご理解ご協力を切にお願いいたします。

今日は主の洗礼の主日です。ヨルダン川で主イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたことを記念する日です。この日からイエスの公生活、宣教活動が始まりました。

教皇ヨハネ・パウロ2世先般、「おとめマリアのロザリオ」という使徒的書簡を発表し、2002年10月から2003年10月を「ロザリオの年」とされました。そしてあらたに「光の神秘」(玄義)を制定されました。光の神秘はイエスの公生活の黙想です。そして光の神秘の第一連が本日祝うイエスの洗礼です。日本の司教団は次のような「黙想への招きを」を発表しています。

「この一連をささげて、洗礼の恵みを神に感謝し、聖霊に導かれて、神の子として生きることができるよう聖母の取り次ぎによって願いましょう」。

わたしたち東京教区の歩みは主イエス・キリストの歩みにならなければなりません。主の公生活を黙想し主イエスに倣って、福音化の使命、福音的使命を遂行していかなければならないと思います。

さて、すでにお知らせしましたように、ことしの復活祭(4月20日)から正式に宣教協力体が発足します。教区ではそれに伴い、「宣教協力体のための指針」を用意しています。本日その内容を説明いたします。まだ案の段階です。皆様からの意見を聞きながらより適切なものにしていきたいと考えています。なお今年の司祭の人事異動も復活祭後に行われる予定です。何かとせわしいと思いますが、この指針案を参考に、宣教協力体発足へ向けて今からできる準備を進めていただきたいと考えています。

宣教協力体の発足と共に教区としての在り方全体の再編成(刷新)を進めていきます。本日はその方向と構想について話してもらいます。

 

私は今日この機会をお借りしていくつかのことをお知らせしお願いしたいと思います。

1、教区全体の再編成を進めていくためには教区本部のスタッフの充実が不可欠です。現在そのための本部の司祭、職員の人事を考慮中です。皆様のご理解をお願いするしだいです。

2、現在解散状態の教区宣教司牧評議会を本年中に再開するよう準備します。

3、また終身助祭制度についても教区としての方針を明確にするよう、検討を開始します。

4、現在、司祭・助祭の医療費ならびに介護の費用を助成するために『共済会』を設置する方向で準備中です。これは近い将来発足する運びです。

5、いま開かれております教会委員連合会のことです。私としては、各教会の代表の方と一緒にお会いし、お話できる大変ありがたい機会であると感謝しております。しかし、再編成を機会に、この集いをよりよいものにする可能性を検討してみたらどうか、と考えています。

 

わたしたちは自分の共同体をどのようにとらえているでしょうか。

教会は立派な人、健康な人、道徳堅固な人だけの集まりではありません。むしろ、弱い人、病んでいる人、まちがいを犯す人、罪人が含まれる集団です。それはまさにイエス・キリストの周りに集まった貧しい人々の群れのようです。 教会とはイエス・キリストによって集められ、イエス・キリストを中心として歩む、貧しい人々の集まりです。そこにあるのは「五つのパンと二匹の魚」で表されるわずかなものです。わたしたちはそのわずかなものを分かち合い、分かち合いを通して神の恵みに与ります。

教会とは、罪のゆるしを信じ、神への信頼と希望のうちに、自分の弱さを自覚しながら、受け入れあい、恵みをともにしながら、祈りと感謝と賛美をささげつつ、貧しい人として貧しい人とともに歩む寄留の民ではないでしょうか。その中心にはいつも復活されたキリストがおられます。

わたしたちはそのような者です、「どうぞ仲間になりませんか」、と人々に呼びかけたいと思います。どうか皆様よろしくお願いします。

最後に2001年に『新しい一歩』でお伝えしたメッセージを繰り返しまして、2003年を迎えた私の挨拶とさせていただきます。