教区の歴史

教区の歴史

司祭叙階式訓話

2002年09月16日

2002年9月21日、麹町・聖イグナチオ教会にて

 

受階者
イエズス会: ヨナ 徐 近澈、 ヨセフ 尹 相容
サレジオ会: 五島のヨハネ 雨宮 泰紀、 ヨセフ 辻家 直樹

 

本日、4名の助祭が司祭に叙階されるにあたって一言申し上げます。

今回は2名のイエズス会会員と2名のサレジオ会会員、ことなる修道会の会員が一緒に司祭に叙階されます。これは極めて喜ばしいことであります。といいますのは、ここに、司祭職の普遍性と教会の一致が示されているからです。イエズス会の司祭になるにせよ、サレジオ会の司祭になるにせよ、同じ司祭の任務を受けるのであります。4人の新司祭は、それぞれ、自分の修道会の召命に忠実に生きながら同時に司祭としての普遍的な召命を生きることになります。

さて、4人の方は長い年月、会員としての養成を受けられ、また司祭叙階に必要な哲学・進学の過程の履修もほぼ完了されていることと存じます。いまわたくしはこの席で司祭の務めについて長く話す必要を認めません。しかし、いま司祭職という重大な責務を引き受けようとしている4人の方々に向かって、いくつかの点をお伝えし、励ましと勧めの言葉に代えたいと存じます。

1. いま司祭職を引き受けようとしておられる4名の皆さん、これよりあなた方は司祭としての喜びとともに、困難や苦しみにも出会うことになるでしょう。皆さんの仕事は決して個人的な働きではありません。教会としての働きです。つねに上長と仲間との緊密な報告・連絡・相談のもとに自分の任務を遂行してください。派遣される教区の責任者である司教との適切なコムニケーションもきわめて重要です。

2. 司教は修道者である皆さんの働きに多いに期待しています。司祭であるが同時に修道者です。創立者の精神を現代世界と日本の社会の中で活かすよう努めてください。

「神の国の到来」を告げ知らせることこそわたしたち教会の使命であります。とくに修道者は、イエス・キリストの山上の垂訓の教えをできうる限り地上で実行することによって神の国をあかしし、イエス・キリストの復活の証人とならなければなりません。現代は宗教の時代であるともいえます。人々は宗教者に、ある意味で「徹底した生き方」を求められていることをどうか肝に銘じてください。

3. 「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」とイエスは言われます。東京教区の大司教としてわたくしはこのイエスのことばを実行に移そうと努めています。それは2002年9月3日の着座式においてわたくしが決意表明したことでもあります。きょう叙階される4人の方が、司祭としても、修道会員としても、このイエスの言葉を生涯の課題として深め、実行してくださるよう切にお願いします。

4. 教会とは父と子と聖霊の神によって集められ同じ主に属するものとされた神の民です。同じ神に属する民として調和と一致がなければなりません。わたしたちの教会はカトリック教会としての交わりと一致を保持しています。しかし現実にわたしたちの間にはまだまだ協力と理解が不足しています。聖霊の交わりのもとに互いの一致と協力を推進することこそきょう叙階される4人の方々の使命です。

5. 唯一の神における交わりと一致の輪は、カトリック教会の枠を超えてすべてのキリスト者、さらに諸宗教の信者へと広がっていかなければなりません。ここにお集まりの皆さん、すべての人類が一つになるという目標を目指して日々の努力と営みを主なる神におささげいたしましょう。宗教、民族、文化の境界を超えてすべての人が同じ人間として尊重し合える日の実現を目指し、手を携えて歩んで参りましょう。どうかここに集まりの皆さんもこの目標を目指して互いに力を合わせて歩んでくださるよう重ねてお願いいたします。