2001年東京教区平和祈願祭・ミサ (千鳥が淵戦没者墓苑)

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    2001年8月11日、千鳥が淵戦没者墓苑

     

    「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5・9)。と主キリストは言われます。復活されたキリストが弟子たちにお現れになった時、「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20・19)と言われて弟子たちに聖霊をお与えになりました。

    聖パウロは「実にキリストは私たちの平和であります」(エフェソ2・14)と言っています。

    実に、わたしたちキリスト者の使命はキリストの平和を人々にもたらし伝えていくことであります。

    教会はキリストに倣い、キリストの教えと生き方に従って、平和の使徒としての使命を絶えず追求します。平和のために働くことは教会の本質的な使命であり任務であります。

    皆さん、本年2001年は、教皇ヨハネ・パウロ2世が日本を訪問され、広島で『平和アピール』を発表されてからちょうど20年目にあたります。日本カトリック司教協議会は教皇のこの『平和アピール』に応えて平和旬間を制定しました。きょうは 新ためてこの『平和アピール』を思い起こしてみたいと思います。

    教皇は繰り返しこのアピールのなかで「過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことです」と言っておられます。

    人類の歴史は進歩と発展の歴史ですが同時に戦争、破壊、殺戮の歴史でもあります。

    とくに去る20世紀は2つの世界大戦が行われた世紀であり、悲惨で不条理な、恥ずべき大量殺戮が行われた世紀でありました。教皇は大聖年を 迎えるに当たって「紀元2000年の到来」を発表され、その中で、「識別の欠如」ということを嘆かれました。それは具体的には、多くのキリスト者がさる20世紀において 全体主義政権が勢力を拡張する 時のその非人間的な本当の姿を見抜くことができなかったことを指していると思われます。

    教皇は、20世紀の歴史の中に置かれた教会が全体主義政権の人権侵害の動きを識別できなかったことを嘆いておられます。

    同じような反省が日本のカトリック教会でも行われなければなりません。

    1995年、第2次世界大戦終結の50年目に際して日本カトリック司教協議会は『平和への決意』を発表し、そのなかで次のように述べていることをあらためて皆様に思い起こしていただきたいと思います。

    「今のわたしたちは、当時の民族主義の流れのなかで日本が国をあげてアジア・太平洋地域に兵を進めて行こうとする時、日本のカトリック教会が、そこに隠されていた非人間的、非福音的な流れに気がつかず、尊いいのちを守るために神のみ心にそって果たさなければならない預言者的な役割についての適切な認識に欠けていたことも、認めなければなりません」。

    戦前・戦中、日本のカトリック教会は外国の宗教として冷たい目でみられ、弾圧と迫害を受け、軍部から戦争に協力するよう強く圧力をかけられました。当時の教会指導者の苦衷は察するにあまります。それを考慮に入れることは当然のことです。しかし今日から 見れば、次のように言わなければなりません。「私たちの教会は、預言者としての役割を果たさなかったのだ!」。

    同じ過ちを繰り返してはなりません。

    『平和への決意』では次のようにも言っています。

    「教皇のこの呼びかけに応えて、私たたちも、この戦後50年を節目として、人間として、信仰者として、戦争へ向かった過去の歴史についての検証を真剣に行い、真実の認識を深め、悔い改めによる清めの恵を願いながら、新たな決意の元に世界平和の実現に挑戦したいと思います」。

    この司教団の勧めを受けて日本カトリック正義と平和協議会は『新しい出発のために』というメッセージを発表しました。それは、「天皇制国家主義の元での教会の戦争責任」という問題の核心に迫ろうとするものです。

    21世紀を迎え、国内外の動きには憂慮すべき点が多く、平和をめぐる環境は決して楽観をゆるすものではありません。教会はますます、平和のために働くよう期待されています。

    『平和への決意』のなかで司教団は「平和な世界の実現のために」7項目の課題を提示しました。これらはすべて大切な課題です。6年を経て、 今それらがどのように実行されているか、真摯に振り返りを行うべきです。

    私は今回特に第7の項目に注目したいと思います。それは、

    「家庭、教会、学校における、青少年を対象とした平和教育を促進する」ということです。

    「平和を実現する人は幸い」。このキリストの言葉は特に次の時代を担う若い人々へ向けられています。若い人々が平和のために働けるよう、彼らを助け励ますことは教会の非常に重要な使命です。

    平和教育の重要な要素に、歴史教育があります。特にアジアの近現代史の学習が重要です。

    聞くところによりますと、近現代史の勉強は軽視されているようです。

    「授業が現代史のところに来ると時間切れになる」、「そこは受験に出ない」、「現代史は教えにくい」

    しかし、アジアの近現代史を中高校生にしっかりと勉強していただきたいものです。

    歴史の勉強には多くの困難な問題が伴います。大切なことは謙遜に、そして勇気をもって真実を見つめることです。アジアの人々の叫びと訴えに謙虚に耳を傾けることです。

    もしできることなら、同じ事実がアジアの他の国ではどのように教えられているのか、ということを知っていただきたいと思います。場合によっては同じ歴史の事実に 対して非常に異なる評価が下されています。どうしてそういうことがあるのか、日本の青年とアジアの青年が一緒に考えてみることができれば、それは明日の平和建設のためによい機会となるでしょう。

    偏見や主観を捨てて、謙虚に歴史の真実を見つめ、真摯に過去への反省を行うことが大切です。

    私たちは、先人のしたことを引き継がなければなりません。多くのよいことを受け継いだのですから、悪いことも自分のこととして引き受けなければならないと思います。

    生命の尊厳への畏敬、アジア諸国の人々との連帯と共感に基づいて、同じ人間として、同じキリスト者として、誠実に、そして勇気をもって平和の建設に努めましょう。

    教皇の広島での『平和アピール』20周年という機会に青少年の皆さんに特に訴えます。

    「若い皆さん、アジアの近現代の歴史を学び、そこから明日の平和建設のために何をなすべきかを学んでください。できるだけアジアの人々と分かち合いの機会をもち、歴史の問題も話し合うようにしてください。そしてともに同じキリストの弟子として、力を合わせて 『平和を実現する人』となるようよう努めてください、またそのためにともに祈ってください」。

    今日は、教皇訪日20周年記念に当たり、そのことを特に若い人々に呼びかけたいと思います。